映画『雨の中の慾情』は、“クセ強”ラブストーリーなのか?──成田凌主演で11月29日公開
成田凌、中村映里子、森田剛が出演する映画『雨の中の慾情』が、11月29日に劇場公開する。日本と台湾が共同制作した異端系ラブストーリーの見どころをライターのSYOがレビューする。 【写真を見る】ミステリーなのか、不条理劇なのか、ファンタジーなのか?
異質なラブストーリー
映画系のライターの仕事の一つに「オフィシャルライター」というものがある。作品の公式サイトやパンフレット等に掲載される「イントロダクション」「ストーリー」「プロダクションノート」等の執筆を請け負う業務だ。いわば、完成した作品を初めて対外的に言語化する役割であり、フラットな目線と作品のテイストへの理解の双方が必要となる。 その性質上、作品と合いそうな人物がアサインされることが多いのだが──11月29日公開『雨の中の慾情』のオフィシャルライターのオファーを受けて初めて観賞した際、「傑作だが……これをどう言語化しろと!?」と大いに面食らった。それほどに途方もない異質な映画だったのだ。 日台合作である本作は、「ねじ式」等で知られる伝説の漫画家・つげ義春の短編4作をベースに、『岬の兄妹』『さがす』「ガンニバル」の片山慎三監督がイマジネーションをこれでもかと注ぎ込んだ一作。成田凌が売れない漫画家・義男に扮し、森田剛がその知人で小説家志望の伊守、中村映里子が2人を翻弄する未亡人・福子を演じる。 この3人の関係性を軸にジャンルを定義するなら「ラブストーリー」なのだが、鬼才・片山監督の世界観がその言葉に収まるはずがなく、ほぼ全編台湾ロケの画作りも相まってミステリーに不条理劇にファンタジーにと、強烈な“新味映画”に仕上がっている。 冒頭から、土砂降りのバス停で雨宿りをする男女が「金物を身に着けていると雷に打たれる」とアクセサリーを外し服を脱ぎ、最終的には全裸になって田んぼで泥まみれになってセックスを始める──というぶっ飛んだシーンで始まる。続くシーンで義男の夢だったとわかるのだが、いきなり観客をなぎ倒すようなオープニング・シークエンスを仕掛けるあたり、かなり攻めた作品であることは一目瞭然。 魅せ方もいちいちアヴァンギャルド。バッグの中から見た視点や虫の目線で出来事を追ったり、意味深に「虹」が登場したり、義男の住んでいる家とその界隈の雰囲気が独特だったり、伊守は車酔いで吐き、福子は全裸で寝ている(尻には歯形が)姿と、それぞれの初登場シーンもエッジが利いている(物語が進んでいくと衝撃的な長回しも登場)。 映画を観慣れている者ならなんとなく「こういう感じか」とアタリを付けながら観賞するものかと思うが、本作においてはなかなか類似作が見当たらず、その独自性に困惑するのではないか。作品を推し量る物差しの一つに「リアリティ・ライン」があるが、こと『雨の中の慾情』においては「作中世界においての現実味がどこにあるか」がなかなか測定できない。 どこか狐につままれたような感覚のまま、それでいて未知の世界に足を踏み入れていく高揚感が観る者の目を画面に釘付けにし──ネタバレを避けるために深くは言及しないが、中盤で一気にこの作品は変態を遂げる。端的にいえば、「なぜこうした構造だったのか」が明かされるのだ。 全貌が判明するにつれて観客の脳も覚醒し、一見するとやりたい放題に感じられたかもしれないシーンの数々が「あれは伏線だったのか」「ひょっとしてこういうメタファーが込められているのかも」と“謎解き”をするかのような感覚に変わっていく。