[岡崎友紀さん]「おくさまは18歳」のイメージが強すぎて…80年代のシティ・ポップに若者たちが再注目
ウェルネスとーく
岡崎友紀さんは「おくさまは18歳」のイメージがあまりにも強すぎて、その後の仕事では少々、お困りだったとか。芸歴60年を超えるレジェンドに、テレビや舞台での思い出をうかがいました。(聞き手・斎藤雄介) 【写真4枚】18歳の頃の岡崎友紀さん。大好きなスヌーピーとローマで
「子供のころ、喫茶店で踊っていた」
――ご著書の「なんたって70歳!」に、お母様が満州(中国東北部)の放送局で森繫久彌さんの同僚だったと書かれていました。森繁さんはアナウンサーだったそうですが、お母様はどういったお仕事をされていたんですか。 アナウンサーではないと思います。戦争がひどくなってからの慰問団の話ばっかり聞いていたので、もとの仕事は聞いていません。親子ってあんまり詳しく聞かないもんでして、「そうなの」で終わっていました。ちゃんと聞いておけばよかったと後悔しております。 母は譜面を書いたりとか、衣装を作ったりとかしていたので、そういう仕事だったのかもしれません。 ――お母様は楽譜が書けたんですか。 すごい人で、ほぼ楽器は何でもできちゃった。ドラムはたたくし、マンドリン、アコーディオン、ギターを弾くし、なんかもうびっくりですよ。 ――岡崎さんは4歳からバレエをされていたそうですが、お母様の影響でしょうか。 影響があるとすれば、母が音楽好きで洋楽をよく聞いていたことにあるでしょう。うちでも、ハリー・ベラフォンテとか、ラテン、ジャズ、ハワイアンと母がかけてくれて、そういう音楽を聴いていました。 子供のころは浅草に住んでいたんです。喫茶店がいっぱいあって、3歳ぐらいからコーヒーを飲んでいました。そこにジュークボックスが必ずありました。お店の人に頼んで音楽をかけてもらって、恥ずかしげもなくお店の真ん中で踊っていました。音楽が鳴ると踊るクセがある子で。 ――踊りが好きなのは天性のものなんですね。 はい。生まれつき。母はきっと恥ずかしかっただろうと思います。バレエを習い始めたのも、自分から言い出したことです。近くの幼稚園で教えているので、習いたいと母を拝み倒して。 ――最初はクラシックバレエですか。 モダンバレエ、現代舞踊ですね。6歳からクラシックバレエも習いました。 ――8歳で宮城まり子さんのステージに立たれているんですよね。 はい、これはもう本当に偶然。詳しく申し上げると、当時、私がお稽古してたのは東宝芸能学校というところで、土日に小学生と中学生のクラスがあったんです。月謝が安かったので、母に入学しなさいと言われまして。私もバレエが踊れるからいいやと思って通っていました。 そこに、新宿コマ劇場のプロデューサーが子役を探してやってきたんです。後で聞きましたら、宮城まり子さんが、「子役らしくない、普通の子供を連れて来て」とプロデューサーにおっしゃったそうです。 東宝芸能学校なら、子役を外に出していないから、普通の子供がいるだろうと探しに来て、ピックアップされた中にたまたま私がいたんですね。一応、優等生でしたので。