竹中平蔵氏「自民党総裁選、『この国のかたち』を問え」
自民党の総裁選挙が迫っている。現時点で11人が立候補の可能性を示唆している(本記事公開9/11時点。告示後の立候補者は9人)。もちろん正式に立候補するためには20人の推薦が必要だが、これを満たすのは容易ではない。かつて総理を務めた小泉純一郎氏は、「20人というのは絶妙の数字なんだ。10人や15人の推薦は集まるが、20を超えるのは現実に大変難しい。」と述べたことがある。 したがって最終的に何人が立候補することになるかは不明だが、いずれにしてもかつて経験したことがないほど多数の候補者が競う選挙になることは間違いない。言うまでもなく、現職の総裁・内閣総理大臣が立候補しないこと、派閥の壁がなくなり選挙の環境が大きく変わったことが背景にある。 目下メディアは、各候補の品定め、そして最初の投票で50%以上の得票者が出ず決選投票になった場合のシミュレーションなどに忙しい。しかし今、真に重要なのは、新しい自民党総裁(つまり総理)として一体何を実現したいのかという中身だ。総理になるということは、目指す政策を実現するための手段であるはずだ。 新総裁(総理)には、そもそも「この国のかたち」を変えるような大きな政策目標を掲げ、それを果敢に実行することを期待したい。 ●基本構造を変えろ 自民党、いや永田町政治に対して国民が厳しい目を注いでいる中、総裁選で議論すべき項目は多岐にわたる。しかし目の前の短期的問題ばかりに焦点が当たってはならない。政治への不信の根源は、物事の本質を素通りして大きな変革を拒み、結果的に経済社会の劣化を招いた点にある。先の国会でも問題になった政治資金、外国人労働、地方創生などについても、しっかり基本問題を議論しなければ、日本の復活はない。 政治資金について考えよう。このコラムでも以前書いたが、これは政党のガバナンスに問題があることの象徴だ。そもそも日本には政党のガバナンスを規定する「政党法」がない。会社には会社法、宗教法人にも宗教法人法があるのに、政党には政党法がない。ガバナンスの基本的な仕組みがあって、初めて政治資金のあり方も決まってくる。政党法がないままに政治資金の細かな議論をしても、またどこかに抜け道があると国民は考えてしまう。 実は政党の基本的ガバナンスの問題は、今回の総裁選に直結する。日本では、政党のトップを選ぶそのやり方が、実に各党勝手気ままに決められている。現状のやり方は、自民党総裁選では、第1段階の投票でどうして党員投票と議員投票の割合は五分五分なのか。決選投票の場合、なぜ議員投票がほとんどのウエイトを占めるのか。果たしてこれが、民主的な代表選出方法なのか。政党のトップ(もしくは政府のトップ)の選び方は国によって様々だが、基本的に多くの国々で「民意」が直接反映されるような工夫がなされている。 国会議員の票が、日本ほど重視されている国は見当たらない。そして結果的にこの点が、これまで派閥依存の政治運営を促してきた。派閥が解消されつつある今回、政党法を実現する候補が現れてほしいものだ。 同様に政策の基本構造を改革するという点では、外国人労働や地方創生にも大きな視点が求められる。これまで外国人労働に関する政策変更は、主として出入国管理法によって行われてきた。しかし本来は、そもそもどのような方針でどのような外国人労働を求めるのかという基本理念を明確にした上で、外国人労働法(要するに移民法)があってしかるべきだ。しかし移民という言葉に対する国民的なアレルギーを懸念して、政治はこの基本問題を素通りしてきた。 地方創生に関しても、全体としての人口が減少する中で根本的な発想転換が必要だ。現状の政策は、今ある場所に居住している人はそこに住み続ける権利があることを前提に、インフラや公共サービスを提供している。そのこと自体は一見素晴らしいことかもしれないが、現実問題として人口減少が続く中でこの政策は持続可能ではない。 厳しい選択ではあるが、限界的な集落に住む人は地方の中核都市に移転してもらう、そのためのコストは財政で負担するというような方向にならざるを得ない。またすべての自治体を創生させることは残念だが不可能だ。国土政策の根本的転換を先送りしたままで、真の地方創生はあり得ない。 またそもそも、何が国の仕事で何が地方自治体の仕事なのか、その根本を決める地方分権一括法の根本見直しも必要だ。まさに、この国のかたちを変える作業である。