「先生、歌ってくださいよ!」…落ち着かない認知症の元東大教授を救った意外すぎる「天の声」
「漢字が書けなくなる」、「数分前の約束も学生時代の思い出も忘れる」...アルツハイマー病とその症状は、今や誰にでも起こりうることであり、決して他人事と断じることはできない。それでも、まさか「脳外科医が若くしてアルツハイマー病に侵される」という皮肉が許されるのだろうか。 【漫画】刑務官が明かす…死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 だが、そんな過酷な「運命」に見舞われながらも、悩み、向き合い、望みを見つけたのが東大教授・若井晋とその妻・克子だ。失意のなか東大を辞し、沖縄移住などを経て立ち直るまでを記した『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(若井克子著)より、二人の旅路を抜粋してお届けしよう。 『東大教授、若年性アルツハイマーになる』連載第37回 『「アルツハイマー病はもう怖くない」…元脳外科医がそう断言する「まだ誰も知らない」理由』より続く
アメイジング・グレイス
最後の講演は2013年3月、会場は東京都の中野区医師会館でした。 東京厚生年金病院の方々が企画してくださったのです。すでに書きましたが、晋は40年ほど前、その病院の内科で働いていたことがあります。 事前打ち合わせのため我が家を訪ねてくださり、このときもまずインタビュー映像を流し、最後はアメイジング・グレイスで締めくくる、ということで相談がまとまりました。 ところが、ハプニングは起こるもの。 映像が終わり、いよいよ独唱というタイミングになっても晋が歌わないのです。 壇上を行ったり来たりと落ち着かない様子でした。 司会者が機転を利かせて会場から質疑を募ってくださったのですが、それが出尽くした後も歌おうとしません。 「どうしたの、いつも歌ってるじゃない。みんなが晋さんの歌を待ってるのよ」 5分ばかり、そう声をかけてうながし続けました。
皆が驚く粋な演出
もうこのまま、歌もなしで終わるのか――落胆しかけたそのとき、 「先生、歌ってくださいよ!」 最前列に座っていた男性のそんな呼びかけに、ハッと我に返った晋、 「歌う?」 と聞き返します。そしてようやく彼の口から、歌声が流れだしたのでした。 「ア~メイジングレ~イス……」 安堵、声をかけてくれた男性への感謝。そして〈これで最後だなあ〉という実感……胸中でいろんな思いが交錯しました。 事後、参加してくれた私の友人が、 「あれは晋氏の演出だったのではないか」 と冗談まじりの感想をくれましたが、彼のアカペラが聞けなかったら、きっと私は、今でも後悔を引きずっていたことでしょう。