現金3400万を残して孤独死した女性、震災で亡くなったフィリピン人…“名もなき人”の足跡を取材した現役記者が語る
三浦 そうですね。震災報道は発生から10年が大きな1つの区切りだったと思っています。国による復興事業は多くが10年と定められていましたし、 それが一段落したときに、メディアの関心もすーっと落ちました。これも本に書いたんですけど、そのくらい時間が経つと、やはり通常の震災関係の記事はどうしても読まれなくなってくるんですね。その中で、どういうふうにして震災の記憶を繋いでいくか。日本には必ず地震や津波が来る。記憶を繋ぐことによって、次にどこかで震災が起きたときに1人でも犠牲者を減らしたいんです。そのためには、何か新しい切り口を提示しないといけない。この本の場合は「日本はまだ津波で亡くなった外国人の数を把握していない」ことを問題意識として持って取材をしていく中で、それぞれの外国人犠牲者にまつわる物語が見えてくる。物語とは、すなわちその方の人生の軌跡です。津波で犠牲になったフィリピンの方にも中国の方にもそれぞれ人生があって、さらに彼らには、日本人犠牲者にはない、「なぜ日本に来たのか」というストーリーも加わってくる。そうすると、今までの震災報道とはちょっとテイストが変わってきますよね。 武田 東日本大震災で外国人の方が亡くなっていたことは想像できて当然だったわけですが、それが自分の中でどれだけ意識に上ったか。なので、そういった気づきも得られました。また、本を読み進めていくと、三浦さんご自身の人生が開示される部分もありますよね。パキスタン人青年について取材するため、聞き込みに行った南インド料理店で食事をしながら、21歳の時に旅行したインドのことを三浦さんが思い出すシーンがあって、すごく印象的でした。取材の過程で自分自身が相手に触発されていく感じや、自身について見つめることはあるんでしょうか。
三浦 南インド料理の味が自分の過去の世界一周の旅先で受けたホスピタリティーを思い出させ、そこから、メディアもゼノフォビア(外国人嫌い)に加担してきたのではと思いを巡らせたシーンですね。震災で亡くなったアメリカ人女性については大きく報道するのに、フィリピン人やパキスタン人についても、同じくらい報道したのか、と……。そうした事実を発見すると、糾弾は自分に返ってくるわけじゃないですか。「お前だってそうだったじゃないか」って。それに気づいて、ようやく見えてくるものがある。 僕はノンフィクションには2種類のタイプがあると思っています。1つは物事を調べて客観的に書く、記録的・伝記的なものですね。もう1つは自分が体験したことを、つまり見たり聞いたりして感じたことを含めて、事実を主観的に判断して書くもの。僕はどちらかというと、おそらく後者のタイプです。その中に、さらに「2つの旅」を積極的に入れていく。1つは「物理的な旅」。つまり、自分が物理的に移動して取材をすることで、先ほど述べたような事実を発掘していく「ファクト・ファインディング」の過程を見せていく。これは記者的な仕事だと思います。もう1つの旅は「内面の旅」。事実を知ったことによって自分がどう変わっていくのか、その内面の変化を見せる。この2つの旅がうまくリンクすると、作品の構成が重層的になります。武田さんの『ある行旅死亡人の物語』でも、そういった変化はあったのではないでしょうか? 武田 やっぱり自分自身を見つめましたね。それが一番の収穫でした。いつか人は死ぬ、自分も死ぬってことを意識させられました。『ある行旅死亡人の物語』の取材より前も色々な事件事故の取材をしてきましたが、ひとりの人の死をこんなに見つめ続けた時間はなかった。読者の方の反応を見ても、僕と近い感情を持ってくださっている方が多いようです。本の主人公である田中千津子さんの存在を通して、自分が有限な存在だと感じるのかなと。そういうふうに届けられたのが、嬉しいですね。 三浦 僕も震災の翌日に被災地に飛び込んだときに、多くの遺体を見たんですよね。胸が痛むと同時に、人は簡単に死ぬんだなといやがおうにも理解しました。「80歳まで生きるから」などと思ったり、やりたいことを先延ばしにしたりせずに、今できることや今やりたいことを優先して、悔いの残らないように生きていかなければいけないと思いましたね。 【もっと読む】「『AIに脅威を感じていない』『真実はネットに落ちていない』朝日新聞と共同通信の現役記者が語ったノンフィクションの強み」では、取材の醍醐味や執筆スタイルなどについて紹介しています。