特殊な構造のスーパーカブC100「スライド式スロットル」をメンテナンス 同い年のバイク=スーパーカブと生きるバイクライフ Vol.2
スロットル操作の不具合は気持ちが悪い
財務状況が悪かった当時の本田技研が、起死回生で発売したモデル、それがスーパーカブC100でした。初期モデルの発売は昭和33年、1958年モデルでした。この年は、長嶋茂雄さんが東京読売巨人軍へ入団した年で知られていますが。バイク業界にも期待の新人が登場した年でもありました。 【画像】ホンダ「スーパーカブC100」スロットル周りのメンテナンスを画像とキャプションで解説(24枚)
発売と同時に爆発的な受注が入り、埼玉県の埼玉製作所大和工場だけでは生産が追い付かず、1960年の一時は、静岡県の浜松製作所でも生産されたのがスーパーカブC100でした。
ホンダの将来をスーパーカブに賭け、スーパーカブ専用工場の建設用に、三重県鈴鹿市内に大規模な土地を購入。本田技研工業鈴鹿製作所がスーパーカブ専用工場の名を掲げて操業開始したのは1960年でした。同年3月にはエンジン工場が稼働し、9月から徐々に完成車の生産が始まり、10月からは本格的に1961年モデルの量産体制に入ったそうです。 あまりにも生産数が増えてしまい、鈴鹿製作所の完成車工場が稼働しはじめたタイミングから、フレーム番号(通し番号)の頭文字がアルファベットになり、車両管理がなされるようになりました。
ぼくが最初に購入したC100は、頭文字が「M」でした。様々な資料本や流出したメーカー資料から「M」打刻は、1964年の9月以降に、完成車出荷されたようです。確かに、部品を分解すると、表から見えない部分に「39.10」とのスタンプや打刻が押してありました。資料からの推定製造年月が大外れではないこともわかりました。 ある程度の製造年がわかるのなら、自分自身の「生誕年、生誕月に限りなく近い車両が欲しいなぁ……」なんて思うようになり、再度、様々な資料を参考に、おそらくこのあたりでは!? と割り出した頭文字が「F」となったわけです。
ここでのレポートは、最初のM号を購入直後に行ったメンテナンスになります。今時の強制開閉式とはまったく違った、特殊構造なのがスーパーカブのスロットルですが、ほぼ固着状態だったのがM号でした。