和田彩花が“ピンクの服”を脱ぎ捨てた理由「アイドルは絵画の女性と同じ」
アイドルの人生そのものが、絵画の女性のようだ
美術館で絵画の中の女性を見ているときに、これは私だ、と思った。 ヌードで描かれ、ラインが強調される身体表現、見られることを意識したモデルの姿は、そのままアイドルのブロマイドや、グラビアの表現に重なった。 なぜカメラの前で追われたような表現をしなければいけないのか、「もっと笑って」と言われるのか、水着になるのか、ようやくわかった瞬間でもあった。 私は、誰かにとって見やすい、つまり受け身の姿勢で、時にか弱く、または追われるようにしていなければいけなかった。それは私「個人」ではなく、「受動的な女性像」のイメージであることに、絵画と自分の経験を通して気づいた。 そのような表現は、私のするべきことではないと思ったので、上目遣いになる角度を取らず、いつもカメラを睨みつけた。 簡単に自分を手に入れることはできない。まずは抵抗、反抗する時間が私には必要だった。ある一部分を取って、それは自由ではないとか、逆に自分を苦しめているとか、そのような指摘は私に必要ない。自由は、抵抗、反抗しなければつかめないから。 残念だけど、それはカメラの前での話だけではなかった。ひとりのアイドルの人生そのものが、絵画で描かれた女性のようなものだった。 私は、結婚も子供を持つことにも興味がなかったので、まず仕事をしたかった。経済的にも精神的にも自立できる人生が続くことを願ったし、名字を変えることなく、私個人の人生を続けたかった。 誰かに養われる必要はないし、婚姻制度を使う必要もなかった。誰かに彩られる私ではなく、自分で彩る生活が欲しかった。 当たり前なことなのに、2020年以前はこう主張する私がまだまだおかしな目で見られる社会だった。グループ卒業を視野に入れるようになった23歳ごろから、この世は腐っていると思い始めた。
妹たちの人生が少しでもいいものになるように
そうこうしているうちに、自分の目指すべき人間像と求められるアイドル像のギャップとのストレスで、精神的にバランスを崩した。 もうここまで来ては、自分を破壊するしかなかった。これまで信じてきた正しさ、価値観すべてを手放して、もう一度自分で価値観を構築するしか方法はなかった。私が壊れていくことで、初めて人の痛みを知った。 最終的に学んだことは、人の痛みに寄り添って、ルールや正しさで判断しきるのではなく、話し合いで理解し合うことと、個人主義と愛でいろんな困難を乗り越えることだった。それが私の価値観になった。 「誰と戦っているのか」とよく聞かれたけど、誰かではない。会社や社会で当たり前とされる価値観、空気、慣習のすべてだ。 いろいろなことがあったけど、私ひとりですべてを乗り越えたわけではない。ここまで人として私を成長させてくれたのは、グループ時代一緒に過ごした仲間であり、妹であるみんなだ。 みんなの前では、学んだ理論も時には必要ない。みんなが、「私たちが最高で大好き」という気持ちだけで、軽々しくいろんな出来事を超えていく存在だった。 10代、20代の若さで、すべての感情を教えてくれて、私たちの正義である「愛」を教え、共有してくれた。 妹たちのこれからの人生が少しでもいいものになるように、私の方法でいろんな問題を話していきたい。 これが私のフェミニズムであり、世代間とのつながりのすべてである。
文=和田彩花