和田彩花が“ピンクの服”を脱ぎ捨てた理由「アイドルは絵画の女性と同じ」
美術に目覚め、勉強と仕事を詰め込んだ高校時代
そのうち、グループの形態や状況がガラッと変わって、高校生のうちにアイドルの酸いも甘いも知った。 そのころの私は、15歳から目覚めた美術に大きく関心が傾いて、仕事しているか、美術館にいるか、学校にいるかの生活をしていた。高校生のころ好きだった絵は、オランダの風俗画とイタリア・フランスの宗教画。 高校2、3年生にもなれば、(当時の私から見た)事務所の大人や、先輩の言うこと、やることが正しいと思うようになっていた。母に「事務所に苦情を言わないで」と言うくらい、忙しいのがありがたくて、体調が悪くても仕事をすることは絶対だと思った。 美術史を学ぶために大学に行きたいという意志を持ち始めて、勉強するようにもなった。勉強し始めたら、“もうひとりの自分”と会話していた言葉が、ぐんぐんと外に発せられるようになってびっくりした。 このころから、時間がある限り本を読み、先生から出された課題をこなす生活と仕事の両立が始まった。それ以外のプライベートな時間はない。主張や不満があるとすれば、もっと勉強したかったし、もっと授業に出たかった。
なぜ、誰にも声をかけられず帰宅することができないのか?
さて、大学入学と同時に私は群馬から上京した。 私にとって東京は、小学校低学年から通っていて、仕事をする場所。山手線に乗っていれば、どの駅を通り過ぎても、だいたい仕事の記憶が思い出される。 事務所に行くために使っていた路線は、今でも乗ると心臓がバクバクする。心の奥に沈めたあのときの出来事、人に言ったこと、言われたことがよみがえる。 もともと好きだなんてあまり思ったことのなかった東京は、上京したことにより、さらに居心地の悪いものとなった。 仕事終わり、夜21時以降に帰宅していると、路上で知らない人に声をかけられるようになった。1年に何回かではなく、ほぼ毎日だった。走って逃げると、スーツを着たサラリーマンが追いかけてきた。怖かった。 なんで歩いているだけで、声をかけられ、興味のない飲みに誘われるのか、なぜ頭からつま先まで品定めするように凝視されるのか、なぜ何事もなく帰宅することができないのかわからなかった。それから、主に男性から“好意を持つ対象”と認識されることが耐え難かった。 ある日、学校と仕事を終え、ジーパンにTシャツで帰宅しているとき、大きな発見をした。声をかけられない! なぜかはわからないけれど、何事もなく帰宅できる安心感を得た。 当時、私が住んでいたエリアでは、通勤する女性たちのバッグがみんなブランド物だった。街を飾るモノグラムを見て、今まで住んでいた群馬との違いにクラクラした。 ここは私のいるべき場所じゃないな、と思った。