和田彩花が“ピンクの服”を脱ぎ捨てた理由「アイドルは絵画の女性と同じ」
ピンクの服を脱ぎ捨て、鎧を装着するようになった
あるとき妹に、唇の色がないから赤いリップをつけたほうがいいと言われた。それがメイクや自己表現に目覚めるきっかけだった。芸能と関係なく生きていた妹は、年頃の関心事をきちんと身につけていた。私よりも大人びていた。 あなたの学生時代を思い出してほしい。前髪の角度や流れ、髪型を気にしたり、メイクやファッションに興味を持つようになったりした思い出があるのではないだろうか? 大人になるために通過する“自己を探る時期”を、私はいつの間に手放していた。想像しにくいと思うが、価値観が強固な場所では、年頃の関心事さえ入ってきにくくて、時にはそうする自由もない。 人間が成長する過程を歩まずに、どうやって大人になるというのか。 大人びた妹の姿を見ていると、自分の好きなものってなんだっけ?と思うようになった。私のいる場所でいいとされていること、当たり前になっていることではなく、私の好きなこと、なりたい人間像を探した。 それまでの私は、幼いころから好きだったピンク色を身にまとい、花柄のAラインのワンピースなんかもよく着ていた。女子大に通っていたこともあって、まわりの目を気にすることなく、好きだと思うものに包まれていた。 けれど、ふと立ち止まると、私はシンプルで、モダンなものが好きなんじゃないかと思い始めた。このころ、クラッシックな絵画よりも現代アートに目覚めていたように。 レースではなく、変わった形の服が着たいと思うようになった。当時は言語化できなかったけど、ピンクのワンピースが社会的に女性性を象徴するものであることを路上のナンパから理解していたため、その反動もあって、ピンクを脱ぎ捨てた。黒と白ばかりになった。ズボンばかりになった。 鎧を装着するように、変わった形で、力強くて、個性的なものばかり着るようになっていた。最も自信を持たせてくれる濃い赤いリップは、毎日つけた。
アイドルの仕事における「私の権利」とは
大学では、女性のキャリア形成について、女性アーティストの立場について、被差別部落の差別について、ポール・ゴーガンの作品が植民地で描かれたことについて、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『第二の性』について勉強していた。 レジュメに書かれたフェミニズムやジェンダーという単語とその概念を何度も頭で反芻して、とうとう私の日常の煩わしさとすべてが結びついた。 ああ、この社会ではこんなにも簡単に「女性性」が自分に結びつけられるし、それは「わたし」個人の表象でも、言葉でもなんでもないのだと思った。 日常と学校でそんな大発見をしている一方で、アイドルの仕事における私の権利なんて考える余地も未だなかった。 なぜなら、小学生から正しいことと悪いことが完全に決められた世界で生きてきたため、信じている価値観、心の拠りどころを疑うというのは、自分を破壊することに近かった。だから、そう簡単には疑えない。 あれは2014年の夏休み。ライブツアーで、1カ月まるまるライブハウスを巡る過酷なスケジュールをこなした。初めて、ステージで「もう無理だ」と思った。 毎日偏頭痛がして、眠気が取れなくて、体が鈍りのように重かった。ちょうど大人になる境目だったため、歌詞と自分の心のギャップに苦しんで、もう歌いたくないと思いながらステージに立っていた。 加えて、ホテルと会場を往復する毎日で、自由に外に出ることもできなかったため、簡単に精神は追い詰められた。身も心もズタズタだった。もう動けないと思いながら、ステージに立った。 価値観に支配されるって、きっとこういうことだろう。無理なのに動かなければいけない、というところまで来てしまう。 それなのに、あのときの苦労は私の中で根性論を強化する理由になった。後輩が体調不良で休むことも理解できなかった。なぜなら、私はあのとき無理してでも動いたから、あなたにもできる、と思い込んだ。 その一方で、恋愛の歌詞をなぜ歌わないといけないのか。それがなぜ主に男性に向けられ、女性を演じる必要があるのか。なぜ大人になる道がどうやっても見えてこないのか、という疑問を抱き続けた。 数々の疑問と、頭の中で強固なものになっていた根性論は、矛盾しながら私の中をうごめいた。どちらも自分を大切にすることには変わりないのに、そんな簡単なことにも気づけなかった。