「17歳2カ月、じつはNPB最年少本塁打」金田正一は400勝以外の記録もスゴい…“デビュー前報道で敵意”長嶋茂雄でも王貞治でもない天敵とは
2学年下、長嶋に敵意むき出しとなった“ある報道”
一方でこの間、国鉄スワローズは一度も優勝していない。金田は好投しても援護に恵まれず負け投手になることも多かったが、セ・リーグの多くの打者と名勝負を繰り広げた。とりわけ巨人の長嶋茂雄との対戦は、伝説のようになっている。 1958年、立教大学から長嶋茂雄が鳴り物入りで巨人に入団。長嶋は金田より2学年下。高校中退の金田は、東京六大学のスーパーエリートの長嶋に猛烈な敵愾心を抱いた。 金田が長嶋をはっきり意識したのは、オープン戦だった。長嶋は大毎オリオンズの小野正一から本塁打を打った。この年の開幕戦は金田の国鉄と巨人のカードだったが、スポーツ紙は「(同じ長身左腕の)小野からホームランを打ったから、金田からも打てる!」と書き立てた。これが金田の神経を逆なでした。 また開幕前に報知新聞は金田と長嶋の対談記事を掲載したが、翌日の紙面では、長嶋と金田が外野スタンドに立った写真に「金田さんここまで飛ばしますよ」というキャプションがついていたのだ。 1958年4月5日、後楽園球場での開幕戦、金田は長嶋との最初の対戦で、空振り、見逃しストライク、ボール、空振りで三振を奪うと残る3打席も三振に切って取る。球史に名高い「デビュー戦、長嶋の4打席連続三振」だ。 なお金田はこの話を振られると「4打席ではない、5打席だ」と訂正するのが常だった。金田は翌6日の同じカードでも3番手として登板し、長嶋を三振させているからだ。ところが、打ち取られても臆せずフルスイングする長嶋に金田は恐怖を感じたという。 金田対長嶋は、通算では211打数66安打18本塁打、打率.313と打ち込まれている。サヨナラ本塁打も2本打たれ、5つも敬遠四球を与えている。金田の「悪い予感」は的中したといえよう。
天敵は13被本塁打の王、抑え込んだ川上ではなく…
一方、王貞治との対戦成績はどうだったかというと――通算で138打数39安打13本塁打、打率.283。左対左ということもあって当初は優勢だったが、1964年には7本塁打と打ちまくられた。そして金田は全盛期の川上哲治とも対戦している。241打数56安打、打率.232、本塁打は1本も打たれずに抑え込んだ。 そんな金田がONや川上よりも大の苦手としていたのが、同じ1933年生まれ、誕生日が6日早い阪神の吉田義男だった。 165cmの吉田は金田と20cmも身長差があったが、通算成績は、328打数95安打、打率.290、そして8本もの本塁打を打たれている。吉田の通算本塁打は66本だから、その1割以上を金田から打っていることになる。金田が初めてサヨナラ本塁打を打たれたのも吉田だった。 両者が引退後に行われた巨人-阪神のOB戦でも吉田は金田から本塁打を打っている。まさに「顔を見るのもいや」な相手だったのだ。
野村、張本、稲尾らパの名選手と対戦してないワケ
金田が在籍していた15シーズン、国鉄スワローズは一度も優勝していない。勝率が5割を超えたのも、Aクラス(3位以上)になったのも1961年だけ。当然、日本シリーズにも出場していない。だから全盛期を同じくするパ・リーグの西鉄・中西太、豊田泰光、南海の野村克也や、東映の張本勲などとは対戦記録がない。投手でも西鉄の稲尾和久、南海の杉浦忠と投げ合っていない。 国鉄在籍の15年間、金田は「ペナントレースの終了が即、シーズンオフ」になることを意味した。それは大投手・金田正一にとっては耐え難いことだった。〈つづく〉
(「酒の肴に野球の記録」広尾晃 = 文)
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