札幌「千歳鶴」初の女性杜氏 市澤智子さん(上) 微生物に魅せられて
1872(明治5)年の創業から144年の歴史を持つ、“札幌の地酒”『千歳鶴』を製造している日本清酒。その長い歴史の中でも初の女性杜氏が、7月1日に誕生しました。同社の六代目杜氏に就任したばかりの市澤智子(さとこ)さんに、日本酒の世界に飛び込むきっかけを伺いました。
日本酒の世界における杜氏のあり方が変わって来た
市澤さんは釧路市出身の39歳。高校時代、進路を本格的に決めるときに見つけたのが「醸造学科」でした。 「将来的に長く仕事をしていきたいと思っていまして、手に職をつけるという意味でも醸造の世界は面白いなと思ったんです。醸造といっても日本酒だけでなく、味噌・醤油・ワイン・地ビールなど様々な種類があり、それぞれで微生物の働きも違います。目に見えない微生物の世界に魅せられて、東京に進学しました。」(市澤さん) 醸造学科があるのは、日本では東京農業大学のみ。釧路へのUターンを最初から決めていたため、進学のためだけに東京へ。卒業後は、釧路の地ビール会社で醸造に携わります。 「私が短大を卒業するころは、ちょうど地ビールブームだったんですよ。それで求人があって地ビール会社に3年ほどお世話になりました。その後、釧路の福司酒造で10年ちょっと日本酒の醸造をしていました。そして、昨年9月に縁あって日本清酒に入社しました。」(市澤さん) 市澤さんが日本酒の世界に入った時には、杜氏は本州から出稼ぎに近い形でやって来て、日本酒の仕込みを終えると帰っていくというのが定例化していました。この形が崩れたのは、杜氏の高齢化に伴う後継者不足により、杜氏そのものが少なくなってきたこと、そして杜氏が日本酒を「造る」だけではなく「売る」「伝える」という部分を担うようになってきたからです。 「杜氏が季節労働ではなく年間を通して酒蔵にいるメリットというのは、自分の造った日本酒に最後の最後まで責任を持てるということです。それこそ、出荷されるまでの品質管理に重点を置くことが、杜氏の役割になって来たんですね。それまでは細かな作業は蔵人(くらびと=杜氏以外の醸造担当者)に任せることが多かったのですが、杜氏が商品を送り出すところまで責任を持つというのは全国的な傾向になっています。」(市澤さん)