阪神・江夏臨時コーチがジェネレーションギャップに苦悩
阪神の沖縄・宜野座キャンプに参加している江夏豊臨時コーチ(66)が、キャンプの空気を変えている。3日はブルペンの裏で椅子に座ってピッチングをチェック。アクションは起こさなかったが、「ピリっとした空気がある。それだけで来てもらったことが正解」と、球団首脳が関心するような独特の空気感を作り出す。 前夜は、ホテルでバッテリーに講演会を開き、ピッチャー心理や、プロの心構えなどを説いたが、その中では、あの「江夏の21球」に関する話も出たという。 1979年の広島vs近鉄の日本シリーズ第7戦。当時、広島のストッパーだった江夏氏は、9回無死満塁の絶対絶命のピンチから、スクイズを外して後続を断ち日本一を決める胴上げ投手となった。その21球のピッチング内容が、のちにスポーツライターの故・山際淳司氏が「江夏の21球」としてノンフィクションにまとめた伝説の試合だ。 その話に共感した一人が岩田稔である。 「同じ考え方をされていると感じる部分があった。江夏の21球の話もされたが、これでもう終わり明日からは投げなくていいという気持ちで投げたという当時の心境を話された。僕も、昨年の日本シリーズの登板では『これが今年最後』という気持ちで投げた」 江夏氏は、ピンチでの心境について「開き直りは、投げやりにつながる。オレは絶対にゼロで抑えるという信念でやってきた」とも話したそうだが、それに関してエースの能見篤史も、「そういう考え方もあるのかと参考になった。追い詰められて開き直れる場面もあるが、大事なのは結果だと思う」と関心を寄せていた。 江夏氏と同じくサウスポーの系譜をたどる能美、岩田の2人は、この日、ブルペンで熱の入ったピッチングを行い、レジェンドの目に留まった。 「なぜ、ためが必要なのかという話を岩田にした。ピッチャーで重要なのは、ボールを離すところ(リリースポイント)で、そこに10の力が出せるように、フォームにためが必要になってくる。今日の能見は、バランスがよかったね。とにかく根気強く投げ続けることで時代が変わってもやることは同じだ。能見は、3年前に、奪三振王のタイトルを取るために短いイニングで出てきて取った。別人のようだった。ああいう気持ちが大事。あの気持ちでマウンドに上がれ!と言いたいね」 江夏臨時コーチらしい叱咤激励であり現状分析だが、臨時コーチという役割を果たす上において戸惑いもあるという。そう江夏氏の本音を明らかにしたのは、広島時代の盟友“鉄人”衣笠祥雄氏(68)だ。 あの21球のとき、古葉竹識監督がブルペンに北別府学を用意、それを見た江夏氏の顔つきが変わったことを認めると、一塁からマウンドにきて「おまえが辞めるとき、俺も一緒に辞めるから」と言った江夏氏の親友である。