ダウン症のタレント・あべけん太さん ホノルルマラソン完走で達成感
「やればできる」――。米ハワイで今月8日(現地時間)に開かれたホノルルマラソンに、イベントなどで「ダウン症のタレント」として活動するあべけん太さん(37)が初挑戦した。42・195キロのフルマラソン。10時間近くかけての難行だったが、兄で元プロボクサーの安部俊和さん(43)らが伴走し、完走した。けん太さんの顔は達成感にあふれていた。 【写真】「やればなんでもできる」 笑顔のあべけん太さん ◇タイムは9時間47分12秒 ホノルル市内の公園内に設置されたゴール会場。冬場とはいえ12月のハワイは陽気に満ちている。午前5時過ぎのスタートから10時間になろうとしていたとき、背中に羽織った日の丸の旗を、両手で広げながら一歩、一歩、前に進むけん太さんの姿が見えてきた。そして、沿道の声援を受けながらゴールイン。タイムは9時間47分12秒だった。 「20キロの手前辺りからけん太に疲れが見えてきたので、競歩のような感じのはや歩きに切り替えた」と俊和さんは言う。ホノルルマラソンには制限時間がない。一緒に伴走したパーソナルトレーナーの加藤準也さん(36)の判断だった。以後は、ほぼ一定のペースで歩き続け、残り1キロぐらいになってからは、無我夢中でゴールに向かっていった。 完走したけん太さんはしばらく日の丸の旗を掲げていた。ハワイ出発前、知的発達障害のある若者をイベントを通じて支援する米国出身の俳優、ジェイソン・ハンコックさん(スペシャル・ビューティー・ジャパン代表)ら有志が東京都内でけん太さんの壮行会を開き、ダウン症の当事者らがこの旗に応援の言葉を記してくれた。「みんな、ありがとう」。けん太さんは常夏の島から呼びかけた。 ◇「ダウン症は『体質』」と家族 「やればなんでもできる」をモットーにするけん太さんは、東京都世田谷区生まれ。生後数カ月でダウン症と分かった。ダウン症候群は同じ番号(21番)の染色体が通常2本のところ3本あり、46本の染色体が47本になっている。 家族は「ダウン症は体質だ」と受け止めた。小中学校は区立の普通学級に通い、横浜市のフリースクールや都内の障害者就労支援センターの利用を経て、現在は都内のIT企業「クレオ」に勤めて清掃や郵便の仕分け作業などを行う。「といっても就職活動では10社、落ちた」とけん太さん。運転免許は実技は受かったものの学科試験に落ち続け、55回目に合格して取得。30歳になったのを機に、実家を離れてマンションで1人暮らしを始めた。 新たなチャレンジの場は海外だった。毎年、大勢の日本人が参加するハワイのホノルルマラソンに目標を定めた。俊和さんはトレーナーの加藤さんに練習メニューや体調管理を依頼し、昨秋から週末など公園でトレーニングを重ねた。1キロから走り始め、少しずつ距離を伸ばしていく。大会1週間前には30キロ以上、続けて走れるようになった。 ダウン症の当事者は一般的に筋肉の緊張度がやや低いため、筋力が弱く、30代後半から運動機能が低下する傾向にある。日本ダウン症学会の沼部博直理事長(小児科医)は「時間はともかく、(けん太さんの年齢で)フルマラソンを完走したのは偉業だといえる」と目を見張る。今大会には沖縄からもダウン症の田口海(うみ)さん(17)=名護特別支援学校高等部3年=が初出場し、9時間0分19秒でゴールインした。 ◇ハワイの子どもと交流 大会の翌日は、ホノルル市内のホテルのカフェで、地元に住むダウン症の子どもたちやその家族らを招いて交流会があった。けん太さんと握手を交わしたザンダー・ヤングさん(14)は「彼はかっこいい」と言い、レイナ・フィエスタさん(14)も笑顔で拍手した。 交流会にはダウン症の娘の養育のため、東京からハワイに移り住んだ北田正己さん、朋子さん一家が参加した。長女の輝海(きみ)さん(15)はホノルルの公立高の1年生で、ダウン症のある水泳選手としてスイミングクラブにも通う。そんな輝海さんも「けん太さんに刺激を受けた。私もスペシャルオリンピックス(SO)に出場して優勝したい」と目を輝かせた。SOは知的障害者の国際的なスポーツ組織で、オリンピックやパラリンピックと同様に4年に1度、夏季、冬季の世界大会を各国で開催している。 ◇「インクルーシブな社会」を目指す けん太さんは「次の目標はハワイのみんなと友好を深めること」と張り切る。 米国では1990年、世界で初めて障害者への差別禁止をうたった「障害者差別禁止法」(ADA)が成立した。教育の分野では障害者教育法(IDEA)をもとに、インクルーシブ(包括的)教育を推進する。俊和さんは「(日本での)インクルーシブな社会の実現に向け、私たちもハワイの人々と意見交換しながら学んでいきたい」と話していた。【明珍美紀】