ホンダスポーツの復活(上) 排ガス規制後の日本で新時代切り開いた高性能エンジン
1月のデトロイトショーでNSXを発表。ファン待望のS660も北海道鷹栖のテストコースでマスコミにお披露目。3月のジュネーブショーでは新型のシビック Type Rがデビュー。ホンダが一気にスポーツカー攻勢をかけ始めた。 【写真】ホンダスポーツの復活(下) 先鋭的すぎた「Type R」 答えは「Euro-R」にある? ホンダはかつて、日産と並び国内でスポーツ車を数多くリリースするメーカーとして人気があった。1982年に登場したシティ・ターボ以降、3代目シビックのSiや、2代目バラードのCR-X、2代目クイントのインテグラ、2代目プレリュードSiと'80年代中ごろまでに矢継ぎ早に快速スポーツモデルを発売し、排ガス規制以降沈滞ムードがたちこめていた日本の自動車界に新風を吹き込んだ。
スポーツカーの進歩止めた排ガス規制
国産メーカーにとって、'70年代は排気ガス規制との戦いに費やされた時代だったと言っていい。アメリカで大気浄化法改正案、いわゆるマスキー法が法案化されたのがまさに1970年。現実主義のアメリカでは「汚染物質90%削減」という無茶な削減目標は徐々に骨抜きにされて行った。もちろん自動車メーカーの激しいロビー活動もあっただろう。 ところが、アメリカで失速して行くマスキー法への対応を、日本では馬鹿正直に実行していく。昭和48年(1973年)に始まった排出ガス規制は、昭和50年(1975年)、昭和51年(1976年)の経過措置を経て徐々に厳しくなり、昭和53年(1978年)についに目標とされていた厳しい規制値を施行した。
1973年と言えば高度経済成長を終焉に導いたオイルショックの年でもある。規制をクリアするだけでなく低燃費も同時に達成しなくてはならない。何しろリッターあたり40円台だったガソリン価格が一気に2倍以上に跳ね上がった上、土曜、日曜はガソリンスタンドが営業禁止になった。当番制で営業していた時期もあるが、いつでもどこでも給油できる自由は奪われた。お金のあるなしに関わらす、クルマを使って遠出ができなくなった。 しかも、この間のスポーツ車の性能低下は甚だしく、トヨタの2T-Gや日産のS20など、当時の花形高性能エンジンは次々と生産中止に追い込まれた。高性能エンジンのみならずほとんど全ての排ガス対策エンジンが落胆を招くほどだらしない性能になり、レスポンスなどのドライバビリティも大幅に低下した。