ホンダスポーツの復活(上) 排ガス規制後の日本で新時代切り開いた高性能エンジン
スーパーカーとして神話化したGT-R
低排出ガスと低燃費の両立のために、現在の技術をもってしても実現できているとは言い難いリーンバーンをキャブレターでやろうというのだから、エンジンが回っただけでも奇跡のようなものだ。パワーとかドライバビリティとか言ったら罰が当たる。 それがどんな時代であったかは、PGC10型のスカイラインGT-Rの話を検証すると理解しやすいと思う。直列6気筒2.0LのS20型エンジンを搭載したいわゆるハコスカGT-Rは1969年に登場した。開発期間を考えると、まさに規制前夜の駆け込みである。公用車/社用車のトップエンドであるプレジデントのV型8気筒4.0リッター180馬力やセンチュリーのV型8気筒3.4リッター180馬力を別にすれば、S20の160馬力は他の追随を許さないスペックだった。 しかも排ガス規制によって高出力エンジンの後継が断たれたことによって、ハコスカGT-Rは1981年にソアラが登場するまで、国産史上最強エンジンの王座を12年間も防衛し続けた。排ガス規制は、そのくらい高出力エンジンの進歩を止めたのである。とくに規制まで、ユーザーの認識は「エンジンの性能はイコール最大出力」で、よくてもリッターあたり出力で見るのが関の山だ。燃焼効率とか燃費とかという概念はほぼなかった。 それまで日進月歩で出力を向上させる日本車を見て来たユーザーたちにとって、まるで永遠に王座を守っているかに見えるGT-Rは「速いセダン」「羊の皮をかぶった狼」などという生ぬるいものではなく、ロストテクノロジーで作られたスーパーカーだった。これが今に続くGT-R神話の中核を形成していったのだ。
ソアラ登場でパワー戦争に突入
ところが'80年代に入ると、突然その流れが変わる。ハイパワーエンジンの象徴的記録であったS20の160馬力を、1981年にデビューしたトヨタ・ソアラが打ち破る。排気量こそだいぶ大きめだったが、直列6気筒2.8Lから170馬力を叩き出し、ついにGT-Rを王座から引きずりおろしたのだ。神格化されたGT-Rの指標を超えたからこそソアラはブームを巻き起こした。 これを機に国産車はパワーウォーズに突入する。排気量に関わらず、続々と高性能エンジンが生まれるのだ。永らくスポーツモデルの不在に欲求不満を貯め込んでいたマーケットは突然訪れた雪解けに狂騒的なブームへとなだれ込んでいくのだ。 ホンダがシビック/CR-X/インテグラに搭載したZC型はその新世代高性能エンジンの代表と言ってもいい。「燃料を効率良く燃焼させるという意味では、排ガス浄化と、低燃費、高出力は同じことだとも言えるのです」。そんな余裕ある発言がエンジニアから聞かれるようになったのはこの頃である。日本の自動車が排ガス規制の苦境を脱したその時に最も輝いていたメーカーこそがホンダだった。新時代を拓く新世代のテクノロジーと若さ溢れる企業文化を持つ新生日本の旗手としてホンダのブランドは輝いていたのである。