紙の地図にエアコンはオプション! ミラーの角度調整も窓開けも手でやってた! 昭和のクルマには夢のような「今の当たり前装備」
クルマがここ20年ほどで大幅に進化
昭和に生まれ、昭和の時代からクルマに乗っていると、今のクルマじゃ当たり前に付いている装備・機能も、「かつては当たり前じゃなかった! 想像もしなかった!」と思いをはせるかも知れない。 【画像】RV車の特徴的な装備だった「カンガルーバー」などの画像を見る 古くは、カーナビゲーションがある。世界初のカーナビゲーションとされるのが、1981年にホンダが開発した「ホンダ・エレクトロ・ジャイロケータ」だが、それとて一般的ではなく、カーナビゲーションが普及する前の道案内と言えば、地図、あるいは手製のルート図だった。デートドライブで助手席の彼女が地図とにらめっこしていた思い出のある昭和生まれのドライバーも多いのではないか。 筆者の初めての愛車は丸目のいすゞ117クーペだったが、クーラーはオプション。付けても助手席下にドーンと後付けするタイプで、よく水漏れしたものだ。筆者はセールスマンから、新車時にクーラーを付けると物品税がかかるので、あと付けを薦められ、そうしたものだ。なお、ヒーターは標準装備されていたものの、クーラーだから当然、暖房機能はなく今のフルオートエアコンとは程遠い空調機能であり、助手席前に付いていると助手席側だけ「寒い」ことになる。 デート中、冷え性の彼女から「消して」何度かいわれた思い出がある(こっちは暑くて大変)。いわゆるカーエアコンが日本で普及したのは1990年ごろだが、それまではクーラーを含めてオプション扱いがほとんどであった。現在、一般的な市販車にエアコンが標準装備され、左右独立温度調整、トリプルゾーンエアコン、ミニバンにある後席エアコン吹き出し口や、ホンダ・フリードの後席用クーラーの装備など、当時は想像もできなかった装備といっていい。 日本車のドアミラーが解禁されたのは1983年と記憶しているが、ドアミラーになっても鏡面の調整は手動。運転席側なら窓を開けて調整できるものの、助手席側を調整するのは面倒だった。今の電動ドアミラーのように、運転席にあるスイッチで左右ともに調整できるなんて、当時は思いもつかなかったのだ。 今では当たり前に付いている安全装備のエアバッグも、国産車では1987年に国産初の運転席SRSエアバッグを搭載して登場したホンダ・レジェンド(MC/助手席エアバッグは90年~)までは、そんなものはなかった。幸い、エアバッグが展開するような事故を起こしたことはないが、かつて、エアバッグのないクルマで飛ばしていたことを思い起こせば、危ないもいいところである。 窓の開閉だって、かつてはすべて手動。レギュレーターハンドルをグルグルまわして窓を開けたものだった。国産車でパワーウインドウを初採用したのは1964年の2代目グロリア。しかしパワーウインドウは高級車のための装備であり、70年代、80年代のクルマにも採用例は少なかったはすだ。