言うこと聞かないと「気合」。県史も認める佐渡金山の朝鮮人強制労働、その痕跡を歩く 世界遺産登録へ「負の歴史」をどう説明するか
▽捜し当てた元徴用工14人 小杉さんら市民団体「過去・未来―佐渡と朝鮮をつなぐ会」は、1990年代から歴史を掘り起こす活動を続けてきた。1995年7月には、韓国で佐渡の元徴用工を捜し当てた。 きっかけは、京町通り沿いのたばこ屋兼郵便局で見つかった「煙草配給台帳」だ。相愛寮の朝鮮人にたばこを配給した記録で、名前と生年月日が並ぶ。これを基に、14人を特定できたが、既に死去した人もいた。 1995年12月には、そのうち当時72歳の盧秉九(ノ・ビョング)さんと、当時73歳の尹鐘洸(ユン・チョングァン)さん、そして遺族の金平純(キム・ピョンスン)さんを佐渡に招き、証言集会を開いた。 ▽言うことを聞かないと「気合」 元徴用工の2人は、日本人と待遇が違うと感じたことや、削岩など肉体的にきつい仕事を割り当てられたことを語った。 韓国からの3人と小杉さんらは、当時の相川町長と面会。町長は過去を振り返り、迷惑をかけたとして「おわびしたい」と謝罪したという。
小杉さんも関わり、別の市民団体が今年6月に発刊した「佐渡鉱山・朝鮮人強制労働資料集」には、盧さんと尹さんを含む多くの元徴用工の証言がまとめられている。 盧秉九さんの証言。 「1941年9月、18歳の時に役所から佐渡鉱山に行くよう命じられた。断れば軍隊に行かされるというので応じた」 「毎日、朝と夜に皇民化教育と技術指導を受けた。朝、坑夫が全員集められ、天皇陛下を拝む。言うことを聞かないと『気合』を入れられた。殴るのが特徴だ」 「同僚はダイナマイトの爆風でカンテラの火が消え、深い坑口に落ちて亡くなった」 尹鐘洸さんの証言。 「仕事は削岩した岩を集めたり、トロッコを運転したりで、ひどいほこりの中で作業させられた。年を取るにつれて、咳やたんが多くなっている」 ▽朝鮮人労働者でにぎわう記憶 佐渡には、朝鮮人労働者を記憶している人もいた。 旧相川町で生まれ育った斎藤紀代子さん(84)は、戦時中に父が営んだそば屋が、朝鮮人労働者でにぎわっていたという。