言うこと聞かないと「気合」。県史も認める佐渡金山の朝鮮人強制労働、その痕跡を歩く 世界遺産登録へ「負の歴史」をどう説明するか
「1945年3月が募集の最終回で『総勢1200人』が佐渡鉱山へ来たとされる」。朝鮮人徴用工は複数の宿舎に収容され、日本人労働者より坑内作業を担わされる傾向が強かったと数字で示した。 ▽社宅、炊事場…残る痕跡 記者は6月、佐渡島に渡った。地元で歴史を掘り起こし、語り継いできた小杉邦男さん(86)に案内してもらった。 島北西部の旧相川町には、かつて鉱山関係者の住居や商店が並んだ「京町通り」がある。今は当時のにぎわいはなく、静かな路地だ。 通り沿いに、つるが巻き付く門がある。門越しに旧相川拘置支所の建物が見える。朝鮮人用の社宅「第1相愛寮」があった場所だ。 「土地自体そんなに広くないけど、当時は400人くらい住んでいたみたい」。小杉さんが解説した。 200メートルほど先の空き地には、草むらからコンクリートの土台がのぞいていた。共同炊事場の跡地だ。 「朝鮮人労働者は皆、ここで食事したそうです」
▽世界遺産の範囲内 日本政府は、江戸時代までの遺構が世界遺産の価値があるとしている。このためイコモスは、明治時代以降の遺構が多く残る相川町内の北沢地区を構成範囲から除外すべきだと勧告した。日本政府は受け入れる方針だ。 しかし、炊事場と第1相愛寮があった場所は、まだ構成範囲内にある。他に第3、第4相愛寮跡地なども含まれる。現地に案内板などは存在しない。 除外される北沢地区には、第2相愛寮跡地近くに、同じく朝鮮人が住んだ社宅跡地がある。付近は、広大な草原となっていた。 「ここは元々グラウンド。みんなで運動会をやったそうです。寮からも近いしね」 第2相愛寮跡地付近からは、北沢地区の「北沢浮遊選鉱場跡」と「50mシックナー」が見下ろせる。浮遊選鉱場は、採掘した岩の中から金や銀を抽出する施設。シックナーは、泥状の鉱石と水とを分離する施設だ。「日本のマチュピチュ」とも呼ばれるスケールの大きい人気スポットだが、構成範囲から外れることになる。