多様化する「恋愛演出」の現在地、“乾いた”愛情表現がトレンドのなか“ド直球”は再び主軸と成り得るか?
映画、ドラマ、マンガなどのエンタメコンテンツには“大枠”と呼べるジャンル・カテゴリーが存在する。『ドラゴンボール』などを筆頭とした「バトル」系、『SLAM DUNK』などを筆頭とした「スポーツ系」などだ。これらは定番コンテンツとして、今なおヒット作が続く。近年では「異世界転生」などもすっかり定番化しているが、一方で、いわゆる「恋愛系」コンテンツは多様性を増しており、近年は特に“乾いた”愛情表現が主軸傾向にある。では、“ド直球”とも言うべきストレートな愛情表現が時代錯誤かというと一概にそうとも言えない。エンタメコンテンツにおける、多様化する恋愛演出の軌跡を辿ってみよう。 【写真】時代感じる? 『東ラブ』リカとカンチのラブラブ“逆あすなろ抱き”ショット
■トレンドとしての“乾いた恋愛模様”は令和の多様性を象徴
1980年代後半~90年代前半にかけて、エンタメ業界において恋愛を主軸においた作品群が軒並み大ヒットを記録。ドラマ『101回のプロポーズ』(91年)における名場面「僕は死にません! アナタが好きだから!!」や『東京ラブストーリー』(91年)における名場面「カ~ンチ、セックスしよ?」など、ケレン味あふれる愛情表現が視聴者の心を鷲掴みにしたほか、CHAGE and ASKAや小田和正などによる、文字通りの珠玉ラブソングがこれを下支えし社会現象を巻き起こした。 一方、マンガ界においても『タッチ』の名場面「上杉達也は浅倉南を愛しています。世界中の誰よりも」が多くの男女の心を魅了した。 「少女漫画は手塚治虫の手により生み出され、1960年代までは主に男性作家が描いていましたが、1970年代以降は“花の24年組”などを筆頭に女性作家が増え、心情重視のストーリーが一般化。あだち充氏もその影響下にあります」と話すのはメディア研究家の衣輪晋一氏。 一方、1995年前後を軸にバブル崩壊による本格的な“不景気”に突入。阪神淡路大震災・オウム事件など、社会を大きくゆるがす災害・事件が立て続けに発生。世紀末感(ディストピア論)が現実味として立ち込める。そんな95年前後を境にエンタメコンテンツのトレンドも一変。代表的なコンテンツとして挙げられるのが「新世紀エヴァンゲリオン」だ。 乾いた感情、何のために戦うのか? 誰のために戦うのか? 仰々しく「俺が(私が)世界を救う!」という高い志が希薄となり、「あの子の笑顔が見たいから」というミニマムな願いと「世界を救う」は等価…という“セカイ系”が台頭。この表現方法のトレンドから愛情表現はさらに多様化の一途を辿ることとなる。 「自説となりますが、“セカイ系”の流れは1980年半ばから起こった、トマス・ピンチョンやスティーブ・エリクソンら、アメリカのポストモダン文学の影響はかなり大きいと感じます。特にエリクソンは主人公とヒロインを中心とした関係が世界そのものの変容、危機や世界の終末に直結する物語を描いており、日本のサブカルチャーに多大なる影響を与えました。こうした手法はドラマでも日本的に解釈され、『ロングバケーション』など木村拓哉出演ドラマでも多用されるように。瀬名(木村)と南(山口智子)の2人の小さな関係が、その瞬間だけ世界にこの2人しかいないような規模となるファンタジーのような倒錯感を与えました」(衣輪氏) また同時期を代表する作品として避けては通れないのが、『踊る大捜査線』シリーズ。演出面にける押井守作品へのリスペクト、熱血刑事とはかけ離れ“脱サラ刑事”という設定、“組織内組織”における超法規的な活躍といった表現は斬新だった。もちろん恋愛要素もあるが、それはあくまでも補足的に描かれており、そのドライな=“乾いた”描き方はその後、多くの模倣を生むことになる。