球界が騒然!「田中将大」だけじゃない…情け無用の“大減俸”を食らった大物選手
「契約してもらえるだけありがたいという気持ちで」
移籍を伴わない同一球団で、田中に次ぐ史上3位の大減俸を記録したのが、12年オフの巨人・小笠原道大である。 07年に日本ハムから4年総額15億2000万円で巨人にFA移籍した小笠原は、4年連続3割、30本塁打以上をマークし、10年オフに2年総額8億6000万円で再契約した。 だが、翌11年は飛ばない統一球の影響などで、打率.242、5本塁打と大きく成績を下げ、契約最終年の12年も、出場34試合の打率.152、0本塁打の大不振。この結果、3億6000万円減の年俸7000万円と、6分の1以下に減額された。 「大方の予想はしていました。契約してもらえるだけありがたいという気持ちで。サインして来季、頑張るという一心です」と雪辱を誓った39歳の小笠原だったが、13年も出場22試合に終わり、年俸3000万円で中日に移籍した。
大減俸を乗り越え、日本一決定戦の勝利投手に
最後は大減俸の5年後にプラス1億円まで巻き返した選手を紹介する。今季限りで現役を引退したソフトバンク・和田毅である。 2015年オフ、カブスを自由契約になり、3年総額12億円で古巣・ソフトバンクに復帰した和田だったが、契約最終年の18年は、開幕前に左肩痛を発症し、1軍登板なしで終わる。 12月18日、契約更改に臨んだ和田は、11年の松中信彦の2億円を上回る球団史上最大の3億円ダウンの年俸1億円プラス出来高の1年契約でサイン。3億円ダウンは、現在でも22年のソフトバンク・松田宣浩と並ぶ史上4位の大減俸である。 「だいぶ下がりましたね。この3年間で働けたのは(15勝を挙げた16年の)1年だけ。申し訳ないです。その中で、球団から『来年は肩を治して戦力として計算してるから』と言っていただいた。その言葉に救われました。契約してもらえるだけで感謝」。 結果を素直に受け止め、復活を誓った和田は、翌19年6月5日の交流戦、中日戦で2年ぶりに1軍復帰をはたし、同23日の巨人戦で651日ぶりの白星を手にするなど、12試合登板の4勝4敗、防御率3.90を記録。巨人との日本シリーズでも、日本一を決めた第4戦に先発して勝利投手になり、現状維持の年俸1億円で再契約を勝ち取った。