「給料安い選手に期待したらかわいそうでしょ」歴史的優勝のソフトバンク・小久保裕紀監督が現地記者に語った“独走ウラ側”「MVP候補の3人」
迷っていた「4番山川」
なかでも、今季のパ・リーグMVP争いはソフトバンク勢の中で“三つ巴”になるのではなかろうか。 「4番バッターと5番バッター、打線では今年はそこが一番ポイントだっただろうね」 小久保監督が挙げたのは中軸打者2人だ。 4番の山川穂高はリーグ優勝決定時まで、チームで唯一全試合出場を続け、打順も一度も変わることはなかった。32本塁打と94打点はリーグ2冠だが、山川本人は「いや、もうちょっと出来ると思ってました。打てなかった時期も多かったので」と悔しさをのぞかせる。シーズン序盤も波はあったが、特に5月22日の楽天戦(京セラドーム)で12号本塁打を放ってから次の一発が出るまでが長かった。6月は丸々ノーアーチ。7月2日の西武戦(東京ドーム)で13号の快音を響かせるまで30試合、130打席もの間、沈黙が続いた。 ただ、どれだけ絶不調だろうとも、小久保監督は山川を4番に固定し続けた。 「外すのが頭をよぎらんかったかと言うと、正直よぎったよね。でも、俺の1999年の時より打っとった。俺はオールスターまで打率1割8分やったから。それに比べたら打っとったからね(笑)」 1999年といえばホークスが福岡移転後初めてリーグ優勝と日本一を果たした年だ。小久保監督はその時の4番打者で、すでに本塁打王にも打点王にも輝いた実績があり押しも押されもせぬチームの顔だった。経験したことのない大スランプに悩み苦しんだ末に、王監督(現球団会長兼特別チームアドバイザー)に「もう4番から外してください」と頼みに行くという禁じ手に手を出したが、指揮官は頑として首を縦に振らなかったという。 「そのまま4番。ただ、バントありエンドランあり、スクイズのサインが出たこともあった。何でもありの4番。本当にしんどかったけど、優勝だけが救いやったね」
球宴前日、主力選手と食事に…
自身の苦しみと初めての優勝争いという途轍もない重圧の中で、シーズン後半だけを見れば復調し、優勝決定試合では貴重な同点本塁打も放った。終わってみればその試練の1年は一生の財産となった。 今年7月のオールスター期間。第1戦の前夜に小久保監督は出場選手とその家族を食事に誘いテーブルを囲んだ。 「アイツ(山川)は野球談義が大好き。酒のつまみがバッティング談義。栗原(陵矢)の奥さんもそばにいたのに、ずっと野球の話で申し訳なかったよ(笑)」 山川によれば、その席で初めて打撃技術のアドバイスを授かったという。また、4番で固定することも告げられた。腹が決まった山川のオールスター後の活躍は凄まじかった。前半戦は87試合で打率.219、14本塁打だったのが、後半戦は優勝決定試合までに48試合で打率.310、18本塁打と成績を大きく伸ばしてみせたのだった。
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