「MOT アニュアル 2024 こうふくのしま」(東京都現代美術館)レポート。複雑な現実とどう向き合うか、4名の作品から考える
現代美術から新たな側面を引き出すグループ展
東京都現代美術館では、現代美術から新たな側面を引き出すグループ展「MOT アニュアル」を継続して開催。第20回を数える本展では、清水裕貴、川田知志、臼井良平、庄司朝美の作家4名を、その最新作とともに紹介する。会期は12月14日~2025年3月30日。 タイトルは「こうふくのしま」。ここでの「しま(島)」は、4名の作家が拠点を置く「日本」の地理的条件に対する再定義を含んでいるという。担当学芸員の楠本愛は次のように話す。 「島というのは地表に少しだけ出た起伏でしかなく、海底では、ほかの大陸や島と地続きです。そういった水面下の見えないつながりや地形を想像してみることをいま考えたいと思い企画しました。たとえば私たちの周りに引かれる境界線や分断、私たちを規定している枠組み。そういったことを超え、見えないつながりみたいなもの想像してみることを今回の4名の作家は実践しているのではないかと思いました」(楠本) 出品作家のひとり、清水裕貴は1984年千葉生まれ、同地在住。水にまつわる土地の歴史や伝承のリサーチをもとに、写真とテキストを織り合わせて架空の物語を創作し、近年は、海水や藻によってネガを劣化させる手法を用いたり、テキストを読み上げる音声を取り入れたりすることで、より重層的な物語の構成を試みる。小説も手がけ、2018年には新潮社R18文学賞大賞を受賞した。 本展の出品作《星の回廊》は、大連(中国)の海岸と東京湾を巡る歴史から、架空の貝の一族の歴史を創造し、風景写真、潮による腐食のイメージ、朗読によって構成する新作。近年、千葉の旧神谷伝兵衛稲毛との出会いをきっかけに満州国への関心が生まれ、大連への訪問へとつながったと振り返る作家。本作のキーワードは時間の多層性だ。 「小説のリサーチで大連を訪れ、面白い伝説のある海岸に出会ったことをきっかけとした作品です。海岸の上を人や歴史が通り過ぎていくという歴史の重層性を、写真と物語で表現しました。時間の多層性をどのように顕現させるかという試みです」(清水) 続いては、巨大な壁画の伸びやかな筆致が印象的な空間。本展で壁画《ゴールデンタイム》を発表するのは、川田知志。1987年大阪生まれの川田は、伝統的なフレスコ技法を軸とする壁画の制作・解体・移設を通じて、日本社会の基盤を支える構造や仕組みとその変化をとらえようとする。フレスコ画については、「自分の体と技術を磨けば、どんどん描ける内容、描ける形も増えていく。そこが自分にフィットして、現在まで続けられている」と話す。近年は、陶磁や琺瑯といった素材を用いた壁画にも取り組み、公共の建築物と壁画の関係性にも関心を寄せている。 対象を様々な角度からとらえた半具象的な画面の中に、ファストフード店のマークなどが見られる《ゴールデンタイム》。普段は郊外の風景をモチーフにすることが多いというが、自身の“郊外観”について次のように話す。 「郊外は生まれ育った地元であると同時に、日本のいろんな場所で見られる景色。要は、“いまの日本の景色”であり、日本の“平和の象徴”なのではないかと思いました」(川田) 壁画の隣の空間では、映像や素材を通して作家の実践の軌跡を見ることができる。 臼井良平は1983年生まれ。普段よく目にするプラスチック製品の形をガラスで精密に再現し、既存のものと組み合わせる「PET(Portrait of Encountered Things)」を制作するアーティストだ。本展では工事現場で見られる仮囲い、ブルーシートなどが出現する。なかでも印象的なのは、各所に置かれたペットボトル風の立体物。 「もとはスナップ写真でいろんな風景を撮るなかで、飲み残しのボトルに着目しました。2007年に写真を展示しましたが(「Forgotten Liquid」シリーズ)、そこから写真のモチーフを立体化しました。道端の猫よけを樹脂やガラスに置き換えたら作品と呼べるかも、と。自分の生活圏で見たもの、けれど見ているようで見てないものを作品として構成しました」(臼井) 臼井の作品は、見えているようで見えていない、だが「ただそこにある」ということはどういうことなのかを私たちに問いかける。大型のフェンスの中など、目を凝らすとひっそりと作品が置かれていることに気づくので注意深く見てほしい。 庄司朝美は1988年生まれ。描くことや見ることの身体性を強く意識させる絵画の制作を通して、作品内外の世界の接続を試みる。2016年頃からは半透明のアクリル板を支持体にストロークが印象的な作品を手がけていたが、昨年からはキャンバスも用いて大型作品も制作するようになったという。「絵について説明はできない。どう描いているか、どうふうに絵をみるかということだけ説明できます」と語る作家は、そのプロセスについて次のように話す。 「立ち上がってきたかたちをどんどん追いかけてくと、最後に出口がある。振り返ると、絵ができてるっていうようなプロセスです。1枚の絵として作品を作りますが、その絵自体はどんどんつながっていって、絵同士がつながるだけではなくて、物理的に、あるいは精神的にこの世界とつながる。絵画自体が窓として見る人の記憶や経験に引きつけられてストーリーが浮かび上がってきたら、それが絵画として働きかける面白さだなと思っています」(庄司) 展示は、絵画が伸びやかに展示される空間と、作家が「フジツボの部屋」と呼ぶ、小作品と映像作品からなる部屋で構成。作家のなかでイメージがどのように生成されていくかを追体験できる空間が目指されている。庄司の作品は、空間の天井部分に加えて、美術館のエントランスのガラス面でも展示されているため、お見逃しなく。 最後に本展には、タイトルの着想元である作品、国吉康雄《幸福の島》(1924)が展示されている。1989年に日本で生まれ、移民としてアメリカに渡り、第二次世界大戦後にはアメリカを代表する具象画家のひとりとして評価される国吉。いまから100年前、国吉が本展出品作家4名と近い年齢のときに描いたのが本作だ。担当学芸の楠本は、本作を展示した狙いをこう話す。 「《幸福の島》が制作された1924年は、戦争に向かって時代が動いていく時期でした。国吉は戦争前からアーティストの権利や自由を守るための社会的な運動にも介入しており、“現代的な作家”だったように見えます。ただ、実際の作品を見てみると、直接的な言及というのは作品のなかではされていないんですね。今回の出品作家4名も、社会の状況とか課題に対して直接的に言及している作品ではありませんが、複雑な現実をどういうふうに見るのか、その眼差しに国吉に近いものを感じたので、作品を展示し、副題も“こうふくのしま”としました。美術には様々な役割がありますが、想像力を持って世界を見たり、何かを感じるということが、美術が持つ豊かさのひとつでもあると思います。本展ではそういったところ(複雑な現実をどう見るかということ)にもあの目を向けていただけるきっかけになればと願います」(楠本) 2024年末、今年を振り返ると世界を取り巻く混沌とした世相が思い返され、2025年もそれぞれの問題がどう展開していくのかまったく見当がつかない。こうした時代に、現代のアーティストたちは各々の表現で「いまできること・すべきこと」を模索する。その姿勢から何か受け取ることがあるはずだ。
Chiaki Noji