農的な暮らし(1)「自給自足」の夢へ 古くて新しい「農」のプロジェクト
「ノラノコ・プロジェクト」の中心メンバーの一人、亥川智子(いかわ・さとこ)さんも、3.11をきっかけに、兵庫県芦屋市から緑豊かな滋賀県近江八幡市への移住を実行した。生まれ育ったのがかつての阪神淡路大震災の被災地でもあるだけに、都会のマンション暮らしの脆弱性に、あらためて気づいたからだ。智子さんは、「自分たちの手で『つくる』力を身につけたいと思い、移住する決断をしました」と言う。必要最小限のものを自分たちでつくり、最大限に活かす。そうしたミニマルな生活を実践していきたい――。僕も「生活のために移住した」と言いつつ、やはり同じような思いは胸に秘めている。その究極のゴールを分かりやすく端的に言うとすれば、「自給自足」ということになろう。
近江八幡での農作業は、震災の前年から夫の聡(さとし)さんと共に「通い」で始めていた。聡さんも都会育ちだが、田舎の祖父の畑や毎年送られてきた野菜に「農」の原体験を持つ。本業はデザイン・商品企画に携わるクリエイター。20代後半で一度は農業を仕事にしようと考えた時期もあったという。それが10年ほどの歳月を経て「仕事ではなく、暮らしの一部」という考え方に昇華し、これまでと同じ分野の仕事を続けながら、田畑を耕す暮らしが近江八幡で実現した。 25歳で結婚した智子さんが具体的に田舎暮らしを志向したのは、30歳前くらいで子供が欲しいと真剣に考え始めた時期だ。それ以前から、芸術作品や文学を通じて「人間の根源的な力」や「自然に寄り添う生き方」には親近感があった。やがて周囲の子持ちの友人たちが、「食べるものが大切」と言うのを聞くにつれ、そうした芸術や思想が農的なものに、ひいては自らが自給自足的な暮らしを実践したいという思いに結びついていった。都会のオフィスで編集事務をしていた智子さんは、その実現のために、在宅でできるweb編集の仕事を始めた。
4人+αで約1反の稲作をする
亥川夫妻は2010年から、琵琶湖に隣接する西の湖のほとりで自然農を行う『西の湖自然農tetote』の活動に参加。ほぼゼロから、自然農による米づくりや野菜づくりを学んだ。やがて同じような考えを持つ仲間を得て、2014年から自分たちで田畑を借りて始めたのが「ノラノコ・プロジェクト」だ。「現代社会の中で、野良犬や野良猫のように、たくましく生き抜き、枠にとらわれない自由な発想で活動を展開していくという思いがあります」と、智子さんは「ノラノコ」の名称に込めた思いを語る。1年目は2反弱、昨年は1反弱の田んぼを借りて、今はほとんど作られていない「朝日」という品種を育てた。小規模な畑作と、藍染めのプロジェクトも併行して行っている。 中心となっているのは亥川夫妻と、身体研究家のウエノチシンさん、英会話講師のナルさん夫妻だ。亥川夫妻よりも少し若いウエノ夫妻は30代半ば。それぞれの仕事と併せて、ノラノコの田んぼの近くの森で、オーガニックなカフェを営む。この4人が主催メンバーとして田んぼの日常の管理をする。そして、多くの人出を必要とする作業を、口コミやSNSの呼びかけに応じた人たちが手伝うというのが「ノラノコ・プロジェクト」の進め方だ。