マジメな警察官がじつは借金250万円、仕事も妻子も失い「さらなる転落」へ…「ギャンブル依存者」に共通する、ある“思考回路”
---------- 水原一平氏の違法賭博問題で注目を集める「ギャンブル依存」。『ギャンブル依存 日本人はなぜ、その沼にはまり込むのか』(平凡社新書)では、九州のとある県警で刑事として働いていたケイさん(仮名・42歳)が、「ギャンブル依存」の沼にハマり、人生の危機に陥っていく様子を紹介している。そこでは、ギャンブル依存者に共通する思考回路が説明されている。 ---------- 【写真】借金250万、仕事も妻子も失い…転落した警察官 ※前編記事「「42歳の元刑事」はいかにして転落していったのか… 誰もがハマる「ギャンブル依存」の深い沼」より続く。
「1円パチンコ」という罠
家庭を築けば、誰もがある現実に直面する。自分で稼いだ金が自分のものだった時代が、静かに過ぎていったことに気づかされるのだ。ケイも、結婚してからはパチンコ店に出向くことはなくなった。定額の小遣い制になったことで、ギャンブルに回す金が足りなかったこともあったが、結婚前に借金で家族に迷惑をかけた現実を、しっかりと自分の肩に背負っていた。やっぱり根は真面目なのだ。やがて、団体職員から警察官へと転身し、念願の刑事にもなった。悪くない人生だった。 それから6年の月日が流れた。あれほど夢中になったギャンブルの感触も興奮も、しばらく離れていれば徐々に薄れていき、過去の出来事の一つとして記憶の底に沈み込んでいた。 ある休日、ケイは雑用を片づけに警察署に出向き、帰宅途中に「1円パチンコ」と書か れたのぼりが風にたなびいている店の前で足を止めた。 このレートなら大丈夫。同じ過ちは繰り返さない。 かつての痛い思い出は、時間とともに薄れていた。「もうあの頃の自分ではない」。自信を持ってそう言えた。ケイは30歳になっていた。社会人としても、家庭人としても分別をわきまえ、生活も思考も落ち着いていく年回りだ。「できちゃった婚」で授かった子どももどんどん成長していく。もちろん、刑事としての責任感だってしっかりと背負っているつもりだった。 ところが、パチンコ店の自動ドアの向こう側で待ち受けていたのは、けたたましい電子音、容赦なく目を傷めつけてくるたばこの煙、それに刑事としての立場や家族までも奪い取る、泥沼の未来だった。 独特の喧騒のなかに足を踏み入れたのは何年ぶりだろうか。お試しのつもりで座った1 円パチスロ台は、確かに少ない「出資」でそれなりに遊ぶことができた。賭ける金額は少なくても、手に伝わってくるスロットの感触、大当たりフラグである「リーチ目」を見たときのちょっとした興奮、短時間で手元のコインが増えていく高揚感......、あのころのように、すべてを存分に楽しんだ。儲かる、儲からないは二の次、恰好の仕事の息抜きとなった。 うん、大丈夫。ゲームセンターのようなものだ。 以降、仕事や家族から離れ、自分の時間を味わうために、ときおり、1円パチスロに出かけるようになっていった。 だが──。通う回数が増えると、物足りなさも大きくなっていく。かつてのしびれるような興奮は、まだケイの体内で熾火のようにくすぶっていた。小遣いでやりくりできる勝 負など、時間つぶしに過ぎない。かつて、破綻ぎりぎりで日々の生活をしのいでいた自分の記憶のストックから、大きな勝負に対する渇望がマグマのようにわき上がってくるのを抑えられなかった。 気がつくと、自然にギャンブル性の高い台の前に座るようになっていた。勝っても負けても、店を出るころは、財布の厚みがガラリと変わっている。それまで、間延びするような時間つぶしに過ぎなかったパチンコ店での時間は、一気に密度が高まった。 やっぱり、ギャンブルはこうでなければ......。