インテリじゃないけれど 地元民が5年後の石巻を「ゆるく」変える
思いはあっても踏み出せなかった震災直後
近江さんは石巻市生まれ。地元の高校を卒業後、上京して写真の専門学校に通ったが、都会の水は合わなかった。卒業後は石巻に戻り、仙台の雑貨屋や石巻の写真館で働いた。 震災が起きたのは写真館を辞めて旅行に出かけ、仙台まで戻ってきた帰路。交通の混乱で5日たって石巻に戻ってきた近江さんは、津波被害を確かめようと海沿いの地区に向かった。 「日本製紙の前のカーブを曲がり、門脇の景色を見たとき。津波で変わり果てた景色が広がっていた」。ショックだった。石巻のために何かしたい。漠然とした思いを抱えた。でも、どこで何をしたらいいのか。 「被災した地元住民としてどう活動に関わっていいか分からなかった。一般社団法人のような普通の会社じゃない働き方があるのも知らなかったし、思いはあっても一歩踏み出すことができなかった」
きっかけは「復興バー」
石巻の飲食店で仕事を始めた近江さんは、中学時代の後輩が働いていると聞いて「復興バー」に立ち寄るようになる。震災後に石巻2.0のスタッフと有志が、天井まで浸水した空き店舗を改修して作った店だ。 当初は代表理事の松村さんがマスターを務めたが、途中から誰でもマスターになれる「日替わりマスター制度」を始め、さまざまな人が集った。特徴はとにかく狭いこと。10人も入ればいっぱいになる店内は、体を屈めなければすれ違えないほど。ただ、人との距離が近いため自然に会話が起きる。 「市外から来た人や地元の若者がいて、何か恥ずかしくもあったけど街をこうしたいと未来を語っていた。石巻2.0が何となく面白いことをやっている団体だと分かった」。少しずつ印象が変わり始めた。 やがて石巻2.0が実施するプロジェクトのひとつに欠員が出る。頭の良さそう人たちの集まりに見えて気後れもあったが、飲食店を辞めて一歩踏み出した。「私は高校の時もサッカーばかりやっていて、成績がビリから2番目だった。でも優秀な人じゃなくって普通の人がいてもいい。じゃなきゃ街っておかしい」。2014年冬のことだった。