復興拠点となった石巻専修大学、卒業生は4割減 現状を追った
東日本大震災の復興拠点にもなった石巻専修大学に“異変”が起きていた。卒業生は過去5年で4割減。地域の大きな期待を背負って設立され、震災から得た学びを全国に発信しているが、なかなか学生の注目が集まらない。 地域の住民は石巻専修大学や学生のことをどう思っているのか。学生たちが考えていることとは? 現状を追った。
地域待望の大学。復興拠点として貢献するが…
石巻市は、15万人が暮らす宮城県第2の都市だ。地域に貢献する人材の輩出を目指して、石巻専修大は1989年に設立。市内初の大学となった。理系の学部が中心で、地元で盛んな水産加工業や製造業とも連携している。震災後の2013年には「復興ボランティア学」という新しい学問も生まれた。 一方で2010年には449人いた卒業生が、2015年には276人に減。大学によると、背景には放射能による風評被害と、通学の重要な足となるJR線の復旧が2015年までかかってしまったことがあるという。 そんな現状があってか、河合塾が算出している偏差値は35。これは不合格者が少ないため、合否を分けるボーダーラインが設定できなかった大学につけられる偏差値だ。ボーダーフリー、属に言う「Fラン大学」だった。 地域住民から求められて設立され、震災から得た重要な見識を発信している一方で、学生からは進学先として支持は得られていない。
周囲の目に映る、石巻専修大生とは
そんな石巻専修大学には、どんな学生が通っているのか。 まず、同校の進路支援課の尾崎課長に聞いた。学生たちには「地元志向」「内向き」の傾向があると指摘する。それは就職活動で、卒業後の進路を決めるときに如実に現れるという。金融、メーカー、インフラ系の地元企業への志望が高い一方、知らない企業については「ブラック企業ではないか?」との相談が多く寄せられるそうだ。尾崎課長は、「インターネットや大学に届く情報だけで就職を判断しようとする学生が多い。自らの足でなかなか動かない」と説明する。 震災では復興拠点として注目を集めた一方で、様々な要因も重なり卒業生減、Fラン判定……さらに、自ら動かない内向的な学生、というイメージが大学内外からも聞かれるようになっている。 そんな彼らから生の声を聞いてみたい。 ちょうど取材日がゴールデンウィークに重なっていたので、大学に学生はまばらだった。大学以外でどこで会えるのだろうか、街行く人に聞き込んでみた。 「街では見かけないね……」 「大学から橋を渡った駅側には行かないんじゃないかなぁ」 「飲むとしたら、家飲みばかりらしい。だから居酒屋にもいないんだよね」 「夜遅くまでゲームしている人が多いよ」 「仙台に遊びにいっているんじゃないか」 「駅と大学の間のコンビニでバイトしているらしい」 出てくるのは推測の話ばかり。ますます会いたくなってくる。 狙いを定めたのは石巻専修大学学生寮の正面にあるスーパー。お昼ご飯を買いに来店するのではないかと予想し、スーパー前で待ち受けることにした。