大きな事件は起きないけど癒された…お正月に放送した意義とは? 新春スペシャルドラマ『スロウトレイン』考察レビュー
幸せを享受することへの怖さ
葉子にとっては世間に干渉されないための処世術だったが、それが都子と潮の足枷にならないように、結婚しなかったのは2人のせいではないことを告げる。でも、都子がユンスからのプロポーズを受け入れられないのは、潮が家を出て百目鬼と暮らすことに躊躇するのは、葉子のことだけが理由じゃない。 そこには、幸せを享受することへの怖さがある。2人はある日突然、命を奪われた両親や祖母のように、人生には「まさか」ということが起きるのを知っているから。ましてや、都の相手は外国人で、潮の相手は同性。本作ではどちらも「特別なこと」として描かれてはいないが、それでも全く問題がないわけではない。 ただ、2人に限った話ではなく、希望が持てない、あるいは目の前に大きな希望があっても、あとで何かしっぺ返しがある気がして、素直に受け取れないという感覚は、長く続く不景気や新型コロナ、気候変動による自然災害を経験してきた我々なら誰もが持っているものではないだろうか。 あぁ、わかるなあと思わされた。だけど、そんな中でも一緒に幸せになろうとしてくれている人に、都子と潮は寂しい思いをさせていた。「僕は常々人といる孤独がつらいと考えている。何よりも。だったら、独りでいる方がマシだよ」という百目鬼の台詞が心の刺さる。
1人でも、独りにならないことはできる
誰かと一緒にいても独りだと感じて、寂しくなることもある。家族がいても、友達がいても、パートナーがいても、1つにはなれないから、寂しさからは完全に逃れることができない。 私たちはどこまでいっても1人だ。だけど、1人でも、独りにならないことはできる。葉子のように、他人や社会と繋がって。そのためには、対話が必要なのかもしれない。言わなくても分かってもらおうとするのではなく、しっかり相手と向き合って、話して、互いを理解する。 それで葉子と目黒のように関係性が壊れて、時を経てまた笑い合えることもあれば、そのままになることもある。でも、過去の栄光に縋っている作家の二階堂(リリーフランキー)に葉子が「あれは佳作です。素晴らしいけど傑作ではありません」とはっきり告げたことで、また新たな傑作が生まれるかもしれない。 保線員の潮が毎年冬に交換し、段差が滑らかになったレールの上を走る電車が人々を行きたい場所、会いたい人のもとへと運ぶ。おせち料理は大変だからと、代わりに渋谷家のお正月の定番となったちらし寿司が、ユンスと都子のお店のスペシャルメニューになる。 都子が韓国へ行き、潮が家を出て、1人になった葉子の独白「小さな、私たちの小さな営みは、どこへ繋がっていくのでしょう。真新しい滑らかなレールが運んでくれることでしょう。連綿と続く私たちの営みを全て乗せて。いつかの遠い彼方まで」は、きっとそういうことなのではないだろうか。