誰も助けてくれない! 異国で孤立した女性の不安と恐怖 「視線」
真夜中にひとりぼっちで帰宅中、暗い夜道を歩くのが心細い。しかも見知らぬ何者かに後ろからつけられているような気がして、どんどん怖くなってくる。もしあなたが女性ならば、誰もがそうした心臓バクバクの嫌な経験をしたことがあるだろう。 しかし本当に恐ろしいのは、次のようなケースかもしれない。何とか無事に帰宅して同居人の夫、もしくは恋人に事情を説明すると、「ふーん。そうなんだ。疲れてるんじゃないの? 気のせいかもしれないよ」。そんな素っ気ない反応を返されたあなたは、最も身近な人に耳を傾けてもらえないショックとともに、どうしようもない孤立感に打ちのめされるだろう。Netflixで配信中の「視線」は、そのような状況に陥っていく若いアメリカ人女性を主人公にした心理スリラーだ。
向かいの住人はストーカーなのか……
元女優のジュリア(マイカ・モンロー)が、夫フランシス(カール・グルスマン)の転勤に伴い、ニューヨークからルーマニアのブカレストに移り住む。ところが新居での生活を始めて間もなく、向かいのアパートの5階の住人がぼーっと窓辺に立ち、こちらを凝視していることに気づく。折しもブカレストでは、〝スパイダー〟と称する連続殺人鬼が若い女性の首を切り落とす猟奇事件が起こっていた。やがて街を散策している最中に、不審な男性につきまとわれていると感じたジュリアは、向かいの住人のストーカー行為を疑うのだが……。 ジュリアの新居となるアパートは真新しく清潔で、ひときわ大きな窓がある。その〝窓〟を活用した描写によって怪しげな隣人の存在をほのめかす序盤は、ヒッチコックの「裏窓」(1954年)やそのトリッキーな追随作品であるブライアン・デ・パルマ監督の「ボディ・ダブル」(84年)を想起させる。しかし見進めていくうちに、本作がまったく別の視点で撮られていることがわかってくる。
ポランスキーに連なる〝抑圧される女性〟
アメリカ人の主要スタッフ&キャストが、現地クルーとの共同チームでブカレストロケを実施した本作は、全体の20~30%を占めるであろうルーマニア語のセリフに字幕がつかない。そのため見る者は、言葉が通じない異国にやってきたジュリアの孤独を疑似体験することになる。冒頭でタクシーの運転手が何やら激しくまくし立てる言葉も、食事中に夫の同僚らが交わす会話も、ジュリアにはさっぱりわからない。 加えて、素性不明の何者かに監視されたり、ストーキングされたりというシチュエーションは、多くの場合、女性が被る恐怖だ。そうしてジュリアの精神不安をじわじわとあぶり出す本作は、上記のヒッチコックののぞき見映画の流れをくむというより、ロマン・ポランスキーの〝抑圧される女性〟映画「反撥」(65年)や「ローズマリーの赤ちゃん」(68年)と共鳴する。同じポランスキーによる異国の恐怖もののアパートメントスリラー「テナント 恐怖を借りた男」(76年)のエッセンスも随所に垣間見える。