誰も助けてくれない! 異国で孤立した女性の不安と恐怖 「視線」
青ざめた映像、シンメトリーの構図
監督のクロエ・オクノはこれが長編デビュー作だが、明確な演出方針を貫いている。安易なジャンプスケアの描写を排除し、本稿の冒頭で示したような女性の日常的な恐怖をリアルに表現することに徹している。夫のフランシスは常に優しくジュリアに接し、彼女のストーカー被害の訴えを聞き入れて警察に通報することもあるが、会社での出世競争を妻に妨げられたくないという本音もちらつく。そうしてジュリアは疎外感を募らせ、英語をしゃべれるイリナという隣人のストリッパーと親しくなるが、ほどなくイリナは謎の失踪を遂げてしまう。 ブカレストのロケーション選択と、撮影監督ベンジャミン・カーク・ニールセン、プロダクションデザイナーのノラ・ドゥミトレスクの仕事も素晴らしい。先ほど〝真新しくて清潔〟と書いたアパートのセットはジュリアの孤立感を際立たせ、屋外シーンの青みがかった映像は冷たい寂寥(せきりょう)感を漂わせる。シンメトリーの構図を多用したカメラワークも効果的で、終盤の地下鉄車内のシンメトリーショットはことさら不気味で忘れがたい。
「妄想なのでは?」男性を試す視点
そしてオクノ監督の最大のお手柄は、ジュリアを脅かす〝視線〟の主の正体をギリギリまで曖昧にしたことだ。そのためジュリアが感じる恐怖は本当に実体を伴っているのか、ひょっとすると彼女の妄想の産物なのではないかという解釈の余地が生まれる。正直に告白すると、男性である筆者は鑑賞中、ジュリアの夫と同じように「妄想なのでは?」と思う瞬間が何度かあった。ここにも作り手の狙いがある。徹頭徹尾、女性の視点で撮られたこの恐怖映画は、筆者のような男性鑑賞者の見方も試しているのだ。つまり本作は「MEN 同じ顔の男たち」(2022年)に代表される、#MeToo以降のフェミニズムスリラーの系譜に位置づけるべき作品でもある。そう考えると、本作のラストショットにおけるジュリアの鋭い〝視線〟の矛先にもゾクリとせずにいられない。オクノ監督、かなりの実力者と見た。 最後に、主演女優のマイカ・モンローにも触れておきたい。出世作「イット・フォローズ」(14年)でえたいの知れない何かに追われ続けたモンローは、本作でもアメリカンホラーの典型的ヒロインが見せるような絶叫演技を封印し、このうえなく繊細なニュアンスの感情表現を披露。25年には新たなキャリアの代表作になるであろう、全米大ヒットのサイコホラー「Longlegs」の日本公開も控えている。スリラー&ホラーのジャンルで、まぎれもなく今最も注目すべき女優のひとりである。
映画ライター 高橋諭治