ヒオカ「学校では不登校、パワハラで転職を繰り返すうち、気付けばまともな職場に行きついた。合わない場所に我慢して居続けるのは正解か」
◆自分が大丈夫な場所とそうではない場所 でも、転職を繰り返すうち、気が付けば「まとも」な職場に行きついた。上司は不機嫌になることも、怒鳴ることもない。こちらから聞く前に丁寧に教えてくれる。何か聞いても、同じことでも快く説明してくれる。社員以外にもみな平等に優しく、風通しもよい。そこに来て、私は「人間にしてもらっている」と思った。人間として尊重してもらって、人間としての尊厳を取り戻しているような感覚だ。 では、そんなまともな職場にいけたのは、私が変わったからなのか? と言うと、そうではない。本当に、ただただ、「運」だと思う。非人間的扱いを受ける職場に当たってしまったのも運。人間扱いしてもらえる職場に来れたのも運。ただ、それだけだ。 まともな職場環境を経た今、以前とは随分考えが変わったことに気が付いた。この社会には、無数の箱がある。だから、たとえそのひとつが合わなかったとしても、自分が悪いんじゃない。今頑張れなかったとしても、他の場所に行っても同じようにだめなんてことはない。自分が大丈夫な場所とそうではない場所がある。 無理をすることで、過酷な環境でも耐えられる自分になろうと努力しているつもりでも、ただ合わない環境で自分を擦り減らしているだけ。強さを身に付けようとして、実際には心を麻痺させようとしているだけ。だから、合わなければはやく見切りを付け、自分が大丈夫な場所を探せばいい。「ここでだめならほかでもやっていけない」は嘘!呪いの言葉でしかないのだ。
◆強さとは何か? 最近、強さとは何か? を考える。 私は記憶力がいいのだが、それによって悩まされることも多い。相手の言動を事細かに覚えているので、それを話すと周囲におびえられる。嫌な記憶もびっしり脳にこびりついていて、とることができず苦しむのだ。それは、記憶力がある、というより、元々備わっている「忘れる力」が弱いのだ、と思う。 心が強い人、と言われる人は、「強さ」があるのではなく、繊細さや鋭敏さが弱いのではないか、と思う。「メンタル強い」って、ようは鈍感でいられるということなのだ。心が弱い人は、強さがないのではなく、きっととても心が繊細で、些細な刺激にも敏感で、人の気持ちがわかり、あらゆる感情を受け取っていちいち傷ついてしまう人なのだろう。周りでメンタルの調子を崩す人たちは、総じてとても感性や心が鋭敏なのだ。 だから、心を麻痺させるより、自分が弱いままでも適応できるような環境を探すことが大事だと思うのだ。この社会には無限に箱がある。今どうあがいても苦しいのなら、それはあなたが弱いからではなく、今の箱が合っていないからなのだと思う。 よく、バブル世代にハラスメントの相談をすると、「私らのころはもっと酷かった」「今の若者たちが耐性が無さ過ぎる」と言われた。でも、ハラスメントについての認識の世代間ギャップについての記事を書くと、バブル世代の人から、こんな声をもらった。「私たちはハラスメントに強かったのではなく、ちゃんとすごくつらかったし痛かった。ただ心を麻痺させ、我慢していただけなのです」。