肝臓破裂で生死をさまよったガリガリ少年が12年で激変、「心身ともに崩壊しても人生はいつからでも変えられる」
■隠れて通ったジム「ガリガリがトレーニングしている姿が惨めで恥ずかしい…」
――どんな気持ちで日々を耐えていたんでしょうか。 「いじられるのが耐えがたく、逃げ出したくなるほど部活に行くのが辛い時期がありましたが、辞めることはできませんでした。高い学費を払ってもらっていることもありましたが、大切な家族を悲しませたくなかった。実は、高校時代、ケガから復帰した直後に、母を失っていて。朝の3時頃、父親の叫び声で寝ていた僕と姉は目が覚めて、父のもとに駆け付けると、風呂場で母が倒れていました。くも膜下出血でした。当時、自分が助かった分、母が身代わりになってくれたのでは…と思い、自分を責めた時期がありました。ただ、その後は祖母が母の代わりに育ててくれ、周りの方にも支えられ、家族みんなで母の死は乗り越えることができました。今も、本当に幸せに育ててもらえたと感謝しています」 ――そうだったんですね…。 「高校時代、ケガや母の死を乗り越えたものの、その一方で、大ケガ後も自分の細い体に対する劣等感は消えず、常に自信がなく『自分はしたかない』とあきらめていました。そんなコンプレックスだった体型に対して、悪意のある“いじり”が始まったことで、どんどんネガティブになり、メンタルはボロボロでした」 ――体型のコンプレックスやからかい、“いじめ”を周囲に相談することは… 「ありませんでした。それまで、からかいも“いじめ”もすべて、苦笑いしたり『なんだよ~』なんて返して、仲良しがじゃれ合っている感じに見せていました。周りの誰かが見て『いじめられている』と受け取られることは、“いじめ”と同じくらい耐えがたかったので、誰にも言えませんでした。そうしないと、自分がどんどん追い込まれると思っていました」 ――そのような状況からどのように脱していくのでしょうか。 「大学3年生になった頃、サッカー部内で筋トレメニューが組まれました。ガリガリの僕は周りに全くついていけず、恥ずかしくて逃げ出したくて仕方なかった。ただ、それをきっかけに、ちょっと勇気を出して筋トレをやってみようと思いました」 ――それまでは筋トレで鍛えることを考えなかった? 「ガリガリの僕が筋トレを始めたら、それこそ“いじめ”の対象になると思っていたし、そもそも力がないので筋トレが大嫌いでした。どんだけ食べても体重は増えにくく『自分は体質上筋肉がつかないし太れないから仕方ないんだ』と、何もせずに諦めていました。でも、この頃は、本当に何もかもが辛く、わずかな可能性でも変われるチャンスがあるなら、と。でも、最初はガリガリがトレーニングしている姿が惨めで恥ずかしくて、ジムで人がいない時間を見つけて行っていました。知り合いが来たら、すぐにジムから出て。そんなことを繰り返していました」 ――そこから逆転劇が始まるんですね。 「そんなに甘くありません(笑)。筋トレを始めてから、余計にいじられることも増え、馬鹿にされ、心身共に限界で何度も挫折しました。今思い返すと、そうした連中は、僕と同じレベルの部員たちで、トップレベルの部員はいませんでした。彼らも僕同様に、高校までは『サッカーの上手やつ』だったのが、『下手なやつ』になり、劣等感やストレスを抱えていたのかもしれません」