あなたの「海水浴」の思い出は何ですか?今なお鮮やかな真夏の楽しき記憶たち
夕食後は花火大会
夕食後には、再び海岸に出て、花火を楽しんだ。子どもの自分たちは、線香花火など手持ちの花火しか許されず、火が噴き出る仕掛け花火や、空に向けての打ち上げ花火などは、触らせてもらえなかった。見物するだけだったが、いつかは大人になって、自分で点火したいと毎回のように思っていた。夜の海を彩る花火は、思いきり楽しんだ海水浴の一日を思い出させ、同時に明日には帰らなくてはいけないという、一抹の淋しさも胸に運んできた。
カブトムシを探す朝
朝は夜明け前に起きて、元気に鳴く蝉の声に包まれながら、近くの松林などで、カブトムシやクワガタムシを夢中で探した。トノサマバッタやコガネムシは捕まえやすかったが、カブトムシとなると貴重だった。海では魚やヤドカリを捕まえた。「四つで」という、約1メートル四方に組み立てる網を持参した。それは親戚のおじさんたちの指導によるもので、戦後まもない頃には、タツノオトシゴなども捕獲したという。新舞子には、当時、駅の西側に水族館があって、捕った魚などを持ち込んで展示してもらったという、何とも楽しい思い出話も聞かされた。生き物が大好きな子どもにとっては、ワクワクすることが多かった。
初めてのスイカ割り体験
大人数だからこそ盛り上がることができる遊びもあった。スイカ割りである。生まれて初めて体験したのも、新舞子海水浴場だった。持参した大きなスイカを砂地に置く。離れたところに立ち、タオルで目隠しされて、身長よりも長い竹の棒を持たされた。ぐるぐると身体を回転させられて方向を見失わされて、さあスタートである。いろいろな人が、いろいろなかけ声によって誘導したり、逆に迷わせたり。そして、ここぞと決めた場所で、振り上げた竹棒を思い切り振り下ろす。多くの場合は砂地を叩いただけだったが、ついにスイカに当たる手応えに遭遇した時は、本当に嬉しかった。あの達成感と快感は、手のひらに残っている。自分で仕留めたスイカを、皆で割って食べる美味しさは格別だった。 夏に海で過ごした時間は、とにかく楽しかった。大人への歩みと共に、学校の部活動とか受験勉強とか、親戚が集まっての海水浴からも遠ざかるようになった。やがてそれは姿を消した。レジャーも多様化した今、「海水浴」はどんな思い出として、今の子供たちの記憶に残っていくのだろうか。 【東西南北論説風(510) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】 ※『北辻利寿のニッポン記憶遺産』 昭和、平成、令和と時代が移りゆく中で、姿を消したもの、数が少なくなったもの、形を変えたもの、でも、心に留めておきたいものを、独自の視点で「ニッポン記憶遺産」として紹介するコラムです。
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