あなたの「海水浴」の思い出は何ですか?今なお鮮やかな真夏の楽しき記憶たち
あまりに厳しい猛暑、さらに新型コロナウイルスの感染拡大によって、ここ数年で「海水浴」をする人の数が減ったそうである。夏と言えば「海水浴」だった時代は、波に押し流されているようだ。それでも、学校が夏休みに入ったこの時期になると、楽しかった海での日々の思い出がよみがえる。
新舞子での海水浴
自分自身の記憶にある、生まれて初めての海水浴体験は小学生だった1960年代(昭和40年代前半)の夏だった。場所は、愛知県の知多半島にある新舞子(しんまいこ)海水浴場。すぐ南隣にある大野海水浴場は"日本最古の海水浴場"とも言われていて、その一帯が海水浴に適したエリアだったのだろう。住んでいた名古屋からも近かったため、沢山の人が訪れる、人気の海水浴場だった。
「海の家」の記憶
ぼんやりと記憶にある「海の家」は、海岸に建てられていた。新舞子海水浴場のものは、簡易的なプレハブ小屋ではなく、常設されたかなり大きな建物だった。砂地から階段で数段上るような、それなりの高さがあり、まるで屋根の付いた大きな広間が、海岸に出現したようなイメージだった。床には"ござ"が敷かれていて、それぞれ家族ごとにスペースを確保した。海水浴客でとても混んでいた。もちろん海の中も混んでいた。夏の楽しみといえば、当時は子どもも大人も海水浴だった。
宿泊しての海水浴旅行
最初は日帰りでの海水浴だったが、小学校高学年になった頃には、宿泊するようになった。自分たち親子だけではなく、親戚一同が予定を合わせて集合して、海水浴場近くに一緒に泊まって、海水浴をたっぷりと楽しむ。新舞子には「舞子館」という、地元の名古屋鉄道が所有する旅館があった。太平洋戦争直後は米軍によって接収されて、進駐軍用の社交クラブとして使用された歴史を持つ、伝統ある宿だった。老朽化のため「舞子館」は1980年代半ばに取り壊されたが、そこに宿泊しての海辺の日々は、半世紀以上経っても鮮明である。
泳ぎを教えられた海
宿に到着すると、寸暇を惜しんで海岸に出た。持参した"ござ"を砂地に敷いて、バスタオルなどを置き、すぐに海に入る。大人たちによる水泳教室から始まった。そんなこともあって、泳ぎは海水浴の場で覚えた。クロールや平泳ぎなど、泳げるようになるとスタートとゴールを決めて競泳もした。空気を入れたビーチボールでバレーボールごっこをしたり、ビニールボートの奪い合いをしたり、午前も午後も一日中、海に出て時を忘れて遊んだ。大人になってから、海水浴のつもりがいつのまにか海岸での「日光浴」に変わってしまい、ほとんど海水の中に入っていないことに気づいた。すっかり"海で泳ぐ"ことを忘れている自分がいた。