ドラマ「アンメット」原作者の元脳外科医が語る“脳と記憶” 「記憶喪失と記憶障害は明確に違う」
「記憶がなくても技術は上達する」 その意味とは
ドラマの1話で、若葉竜也さん演じる天才脳外科医・三瓶友治が、杉咲花さん演じるミヤビは「手術ができます」と論理的に説明するため、鏡映描写法というテストを行います。このテストは繰り返すことで上達するもので、ミヤビはテストを受けたことは忘れますが、回を重ねるごとに上達。この結果を通じて三瓶は、ミヤビが「記憶がなくても技術は上達する」と証明してみせました。 記憶障害により、自転車に乗ったことがある記憶を失った人でも、以前、自転車に乗れていたならば自転車に乗れます。それは海馬とは別の場所に、自転車に乗る技術が記憶されているからです。さらに記憶障害になってからも、練習したこと自体は忘れても、練習で身につけた技術は非宣言記憶として刻まれていきます。 「脳に障害を負ったら、日常が断たれてしまうと感じるかもしれません。でも周囲が状況を正しく理解し、適切な対応ができれば、本人は能力を最大限発揮することができるのです。記憶障害のミヤビが、脳外科医として働き続けるというのは、一見あり得ない設定に見えるかもしれませんが、医学的なロジックに基づいて作られています。 三瓶がミヤビに“記憶がなくても、脳外科医として手術ができる”とこだわり、精神論ではなく論理的に導いているのは、そうした医学的なロジックによるもの。 身体の障害だけでなく、知的障害や発達障害といった人たちも、周囲が正しく理解し、それぞれの状況に合わせて適切に対応できれば、みんなが能力を発揮して活躍できる……。そういったメッセージを込めて、作品を描いています」
記憶がなくても、その人らしく生きられる
記憶障害の後遺症を抱えるミヤビは、「私はまだ、医者なのだろうか」という葛藤を抱えていました。記憶を失い日常の連続性が断たれることは、人間関係など社会生活を送るうえで困難があるだけでなく、“自分らしさ”をも揺るがすかもしれません。 「そこは、この作品が問いかけていることのひとつですね。記憶がなければ、その人らしさは失われると考えるかもしれませんが、僕は『本当にそうなのか? 記憶がなくたって、その人らしくいられるんじゃないの』と思っています。 三瓶がミヤビに『強い感情は残ります』と言いますが、海馬の損傷でエピソード記憶を失っても、脳内のほかの場所で感情や潜在意識はちゃんと働いています。心の話をすると、喜怒哀楽だけが感情ではなく、心はもっと広い概念です。お腹がすいたらイライラするし、嫌なことがあっても、やけ食いをしたら幸せになるとか(笑)。記憶がなくても、幸せな心はあるし、瞬間瞬間で立派な人格でいることができます。 言い方を変えると、記憶は“単なる記憶でしかない”ということ。脳に障害を負って、記憶を失ったり、何かができなくなったりすることがあるかもしれません。でも歩けなくなった人が、車椅子を使うのが当たり前のように、本人の努力だけじゃなく、周りの理解やサポートがあれば、その人らしく生きることはできるはず。記憶は確かに大事だけれど、人間はもっと奥深い。人の人間性や“らしさ”に、記憶があるか、ないかは関係ないと思いますね」
Hint-Pot編集部・鍬田美穂