インターネットが実現した「多様性」を人々がこぞって捨て去ろうとしている「悲しき現実」
SNS上での承認を求め、タイムラインに流れる「空気」を読み、不確かな情報に踊らされて対立や分断を深めていくーー。私たちはもう、SNS上の「相互承認ゲーム」から逃れられないのでしょうか。 【写真】インターネットが実現した「多様性」を人々が捨て去ろうとしている悲しい現実 評論家の宇野常寛氏が、混迷を深める情報社会の問題点を分析し、「プラットフォーム資本主義と人間の関係」を問い直すところから「新しい社会像」を考えます。 ※本記事は、12月11日発売の宇野常寛『庭の話』から抜粋・編集したものです。
速さと画一性
そして今日、閉じたネットワーク=プラットフォームにおける相互評価のゲームは、人間から世界を見る目と触れる手を、社会からは多様性を奪い去ろうとしている。 今日においてタイムラインに流れてくる情報の内容そのものが吟味されることはもはや難しく、ほとんどのプレイヤーは他のプレイヤーたちの反応を見て、より多くの評価が得られるリアクションを選択する。 ここではもはや情報の内容ではなく、タイムラインの潮目だけが読まれている。こうして、人間は他の人間の顔色をうかがうだけしかしなくなり、問題そのもの、事物そのものについて考えることを放棄する。 ある問題が生じたとき、その問題を解決する方法や問題設定そのものの妥当性は考えられなくなり、大喜利的にどう回答すると座布団を与えられるかのみを考えるようになる。 シングルマザーがネグレクトで子供を死なせたとき彼女の人格への批判が集中し、貧困家庭への支援や地方自治体の児童へのケアといった制度の問題は置き去りにされる。ロシアのウクライナへの侵攻を外交的、経済的な圧力を用いて止める戦略ではなく、事実上ほぼ無関係な憲法9条の問題を取り上げて対立する他政党を攻撃する政治家が出現する。 なぜ、このようなことが起きるのか。前述したようにこの閉じたネットワーク上の相互評価のゲームにおいては、あらゆる人間が情報発信の手段をもち、そしてその大半の人間が多かれ少なかれ自分の発信に対する他のプレイヤーの評価を獲得することを目的としている。 このときすでに多くのプレイヤーが話題にしている問題に対して発信することが効率的だ。 そして、その発信の内容もその問題に対してすでに他のプレイヤーたちの多くが支持している意見に対し賛成するか、反対するかのどちらかを選択することがより効率的になる。いま、この国の議会制民主主義や言論において、第三極が機能せずに事実上の第一極の補完勢力になる理由もここにある。 つまりこのゲームにおいては、新しく問題を設定するインセンティブが、すでに広くシェアされた問題に(それも、すでに支配的な意見に賛成/反対することで)回答するインセンティブよりも圧倒的に低いのだ。 そのためこうして、タイムラインの潮目を読みながら、他のプレイヤーからの評価を獲得するゲームをプレイしているうちに、誰もが同じタイミングで、同じ話題のことを考え、発信することになる。 このとき、人びとは情報の送受信になるべく時間的なコストを割かない。複雑な問題そのもの、事物そのものよりも、多くの場合二項対立に単純化された問題についてのコミュニケーションをするように、つまりタイムラインの潮目だけを読むようになる。他のプレイヤーと同じタイミングで、同じ話題に言及することが、このゲームで効率的に承認を獲得するためには有効だからだ。 こうして「速さ」が求められていく。そしてその結果、閉じたネットワークの内部でシェアされる情報は多様性を失っていく。 もちろん、多様性を社会に実装せよという声そのものは年々拡大している。ユーザー数の増加に比例して、発信される情報そのものも多様化している。しかしどれだけ多くの人びとが発信力をもち、発信される情報は多様化しても、この相互評価のゲームのなかでシェアされる話題は画一化していくのだ。