道長が「娘の出産」に取った“あまりにひどい反応”。天皇に嫁いだ娘達に道長が抱いた願い
今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は娘の出産を巡る道長のエピソードを紹介します。 著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。 【写真】居貞親王(後の三条天皇)に娘を嫁がせた道長。写真は三条天皇のゆかりの広隆寺 ■犬宮と呼ばれた敦良親王 1008年、一条天皇の中宮・彰子(藤原道長の娘)は、皇子を産みました。敦成親王(後の後一条天皇)です。 皇子を産んだばかりの彰子ですが、翌1009年には再び皇子を出産しました。敦良親王、後の後朱雀天皇です。
敦良親王は「犬宮」と呼ばれました。「なぜ犬?」と疑問に思う人が多いでしょう。ちなみに皇子名を考えたのは、学者の大江匡衡でした。大江家はこれ以前にも、天皇の命名に関わっていました。そして、匡衡は敦成親王の命名にも関わっています。 敦良親王の出産に関しては、次のような逸話が残されています。 ある時、彰子がいた御帳の中に、犬の子どもが、突然入り込んできました。(いったい、これはどうしたことだ、何か不吉なことが……)と怪しみ、恐れた彰子は、このことを父の道長に伝えます。
心配になった道長は、大江匡衡を呼び寄せ、密かに相談しました。すると匡衡は「それは、とてもめでたいことです」と答えます。 「なぜじゃ」と問う道長に対し、匡衡は「犬の子どもが入ってきたということ、これは皇子が誕生されるという前触れにございます。犬の字は、大の字の下に点を付けたら、太という字になりましょう。しかし、上に付けたら、天という字になる。これを思うに、皇子が誕生することでしょう。その皇子は太子となり、必ず、天子(天皇)となると思われます」と答えたのです。
道長は匡衡の答えに感嘆します。そんなやり取りがあった後、彰子は妊娠しました。そして、敦良親王(後の後朱雀天皇)を出産したのです。 これは、平安時代後期に成立した説話集『江談抄』に描かれた逸話です。度重なる皇子誕生に、道長の心は躍ったに違いありません。 ■娘の出産に対する衝撃の一言 さて道長の長女・彰子には、妹がいました。妍子です。 妍子は、姉の彰子が産んだ敦成親王をたいそう可愛がっていたそうですが、妍子にも嫁入りの時期が迫っていました。