道長が「娘の出産」に取った“あまりにひどい反応”。天皇に嫁いだ娘達に道長が抱いた願い
■女児を産んだことに対する宮中の反応 威子は、1029年に再び出産します。このとき産まれたのも女児(馨子内親王)でした。すでに威子の父・道長は亡くなっていましたが、この女児出産の時に、宮中に仕える人々の反応はとても「冷淡」(『小右記』)だったといいます。 先ほど、女児誕生に不快感を示した道長の反応を「おかしい」と、現代人の感覚として述べましたが、大なり小なり、そうした空気というものが、宮中にあったのでしょう。
道長には、倫子が産んだ4女もいました。それが、嬉子です。嬉子は、1007年の生まれ。倫子、44歳のときの子どもでした。嬉子もまた姉たちと同じ運命を辿ります。1021年、敦良親王の妃となったのです。このとき嬉子、15歳、敦良親王は13歳でした。 1025年に、嬉子は親仁親王(後の後冷泉天皇)を出産しましたが、その数日後に亡くなってしまいます。突然の娘の死は、道長夫妻にとって、衝撃だったようで、涙を流し、茫然自失だったようです。女児誕生に不快感を示した一方で、娘の急死に我を忘れる道長なのでした。
(主要参考・引用文献一覧) ・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973) ・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985) ・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007) ・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010) ・倉本一宏『藤原道長の日常生活』(講談社、2013) ・倉本一宏『藤原道長「御堂関白記」を読む』(講談社、2013) ・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)
濱田 浩一郎 :歴史学者、作家、評論家