大阪のど真ん中に『女神さま』 何度も引っ越しながら世界の平和を願う「平和の塔・女神像」【兵動大樹の今昔さんぽ】
1枚の写真から街を再発見発!兵動大樹の今昔さんぽ。 世界的観光都市・大阪の“おもてなし玄関口”として、上質で居心地の良い空間に生まれ変わったなんば駅前。そんな大阪ミナミを象徴するスポットから今回はスタートします。 ■【動画】【今昔さんぽ】大阪のど真ん中に「女神像」 何度も引っ越しながら、みんなの平和を願い続ける女神さま
兵動さんが受け取ったのは、1950年(昭和25年)に大阪市で撮影された写真。女性の像と、その前に何かの式典のようなフォーマルな姿の男性たちが映っています。
ふと奥を見ると、写真と同じ女性の像が。 【兵動大樹さん】「これちゃう。んん、台座が全然違うな。もっと高いところに立っていたな」 足元のプレートには「平和の塔・女神像」と書かれていて、説明文によると、この像は心斎橋から戎橋、そしてなんば駅前と移転を繰り返してきたそうです。 詳しい話を聞くため、「戎橋筋商店街振興組合」に。 【戎橋筋商店街振興組合 山本英夫さん】「今日もまたですか?」 【兵動大樹さん】「この辺で困ったら、山本さんをしがませてもらいます」 実は山本さんには以前もこのコーナーでお世話になっています。 山本さんによると、写真の像は、いま南海なんば駅前に立っているものと同じ像で、平和を願って大阪市民の寄付で建てられた大事な像だということです。写真の一番右側に写っている男性は、像の作者の日高正法さんでした。 「平和の塔・女神像」は当初、大阪の「中心標」があった大丸心斎橋店の前に設置されたということです。今からおよそ100年前、大阪は人口・面積・工業出荷額などさまざまな分野で国内第1位の街でした。それを称え当時は「大大阪(だいおおさか)」と呼ばれ、その中心とされたのが心斎橋エリアだったのです。 防火対策の事情によって戎橋北詰に移動。さらに2009年、戎橋のかけ替えのため、南海なんば駅前に移動したということです。
いよいよ、写真に残る「平和の塔・女神像」が最初に設置された大丸心斎橋店の前へ。「大大阪」時代から大阪の中心とされてきた心斎橋の中でも、さらに特別な場所だったそうです。 【大丸 営業推進部 福島和奏さん】「大丸が出店したのは1726年、約300年前です。1933年にこのデザインで建てられ、一部を継承しながら、いまに至ります」 大丸の資料には「平和の塔・女神像」の除幕式の光景が収められていて、500名ぐらいが集まり、盛大な式が行われました。像の台座には鐘がつるされ、大丸屋上の鐘とペアで鳴らされていたそうです。
写真が撮られた場所は商店街に近い側ですが、当時はまだ商店街にアーケードがなく、現在より開けた感じになっていたようです。 【兵動大樹さん】「平和を願う女神さまが、いろんなところに行って、なんばの駅前でいまも皆さんの平和を願ってくれています。なんばを通ることがあったら、『いつもありがとうございます』と言いに行ってみては」 (関西テレビ「newsランナー 兵動大樹の今昔さんぽ」 2024年10月11日 金曜日放送)