ハワイ案内人・内野まことの素顔 グラビアタレントと「1回結婚」 イチロー氏との思い出も
3日からBS-TBS『内野まことのフラフラタビ』でハワイのローカルエリア紹介
ハワイに関する著書を多数出版し、BS12トゥエルビ『ハワイに恋して!』でMCを務めるなどハワイ案内人として39年のキャリアを持つ内野まこと。タレント転身前は多くのメディアのハワイロケをコーディネートしてきた。ハワイと言えば内野まことと言われるほどの人気と実力のようだが、一般の人に素顔はあまり知られていない。内野にハワイに渡った事情やコーディネーター時代の秘話、素顔を取材した。また3日から4週連続でハワイのローカルエリアを紹介するBS-TBS『内野まことのフラフラタビ』(火曜午後11時)の見どころも聞いた。(取材・文=中野由喜) 【写真】サーフィンに夢中だった23歳ごろの内野まこと 「小田原出身で若い頃サーフィンをやっていました。それほどうまくないのに地元の大会で優勝して調子に乗ってしまい、『俺プロサーファーになるわ』と言ってハワイに行くようになったんです。ところが現地のプロサーファーには当時、強面の人が多く、ビビりな私はプロを断念。でも学生ビザを取得していたので、せっかくだからと20歳の時にハワイのChaminade Universityに入りました。校舎がお城みたいにすてきなんです」 ハワイでスタートした学生生活。サーフィンで鍛えた体を生かしアルバイトで雑誌のモデルの仕事をすることも。出版社とのパイプができ、日本の出版社がハワイに来る際にはコーディネーターとして活躍する流れに。 「大学を卒業した際にはちゃんとした人間になりたいと思って、1度ホテルに就職しましたが1年しかもちませんでした。ハワイは楽しむ所で仕事する所じゃないなという変なマインドでしたので。そのマインドのまま大人になった感じです(笑)」 明るく陽気な性格と優しい口調。親しみやすい印象だ。コーディネーターとして人気だった理由が分かる気がした。 「1990年代頭には日本の女性誌がすごくハワイに来るようになったんです。当時は海外の有名ブランド品が日本より安く買える時代。ハワイ限定モデルもあり、女性誌と若い女性客が大勢ハワイに押し寄せました。女性誌のコーディネーターが儲かる時代でした(笑)」 テレビのCM撮影の方が大きな利益となるようだが内野は「すき間が好きなので」と出版社のコーディネーターに固執した。これが次のステップにつながった。 「ハワイの本を出すようになりました。コーディネーターの仕事は撮影隊の意向が最優先です。自分が本当に紹介したいお店があってもなかなか紹介できませんでした。そのジレンマがあって『Aloha Book』という本を発売したんです。その後も10冊ほど発売し、自分で発信する楽しさを知りました。その活動を知った人に声をかけられてタレントに転身した流れです。最新のハワイを紹介するにはコーディネーターも世代交代をしないと情報が古くなるのでハワイのためにも40代になったら辞めようとは思っていました」 タレント転身にはもう一つ裏話があった。 「ハワイの情報を自分で発信できるようになりたいと思った時、ハワイで有名な女性占い師に会いたくなって行ったんです。その占い師は私に『あなたはテレビに出るようになる』と言うんです。当時はまだ、そんな話は全くなかったのに自分のマインドがその方向にシフトしていった気がします。占い師の言葉がなければこの仕事はしていなかったと思います」