AIコンバージェンス時代の組織能力--セレンディピティーを生み出す環境の整備
セレンディピティーをいかに演出するか 組織能力としてのクリエーティビティーにおいて重要なキーワードが、「セレンディピティー」です。セレンディピティーとは「幸福な偶然を引き寄せる力」を指します。その実例として、米3Mの「ポスト・イット」の開発秘話が有名です。より優れて強い、丈夫な接着剤を開発しようとしていた研究者のSpencer Silver(スペンサー・シルバー)氏が、表面に軽くくっつくが、しっかりとは接着しない接着剤を開発してしまいます。彼は何年もの間、この接着剤の用途を見つけるために、さまざまな部門の人に紹介し、使い道を探って対話していました。 5年後、同社のもう一人の研究者であるArt Fry(アート・フライ)氏が、讃美歌集のページに挟んでおいたしおりが滑り落ちるのを見て、Silver氏が開発した接着剤のことを思い出し、新しいメモノートを開発したというものです。 ここに重大なヒントがあります。ポスト・イットはセレンディピティーの好例ではありますが、それは単なる偶然が生み出したのではないということです。新たな価値を創出するには、一人の天才の出現や幸運な偶然を黙って待つのではなく、一人一人が行動を起こすことが重要であり、そのためにはそれが起こりやすい環境や場を備えることが不可欠であることを示唆しているのです。それこそが、イノベーション創出の組織能力となります。 そしてその要件は、組織や階層を問わず自由に発言でき協調できること、多様な価値観の人々と接する機会を増やし、それを受け入れる寛容性を根付かせること、組織内外の他者のアイデアや成果が共有されていること、そして、挑戦に対する成功や失敗が公表され、そのいずれもが称賛されることです。 このような環境や場があることによってコミュニケーションとコラボレーションが活性化し、多様な価値観やナレッジが融合することで相乗効果を生まれ、セレンディピティーが起こりやすくなると考えられます(図2)。 生成AIによるセレンディピティーの可能性 組織能力としてのクリエイティビティーにおいて原著初版が1940年の不朽の名著「アイデアのつくり方」(ジェームス・W・ヤング著、CCCメディアハウス)でも「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何物でもない」と述べられています。AIコンバージェンスの時代において、セレンディピティーは新たな価値を生み出す可能性を持つ組み合わせを発見する機会を増大し、イノベーションを生み出す触媒となります。そのため、企業はいかにしてセレンディピティーを演出するかが問われることとなるでしょう。 テレワークの普及により従業員間のコミュニケーションが希薄になることが憂慮されており、幾つかのデジタルネイティブ企業においてもフルリモート勤務を禁止する動きがあります。その理由の1つは、セレンディピティーの不足によって引き起こされるイノベーション創出力の低下への懸念であるといえます。 もう1つ、セレンディピティーを促進させる可能性を持ったテクノロジーが生成AIです。AIが全くのゼロから新しいものを創造することはないと述べましたが、「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何物でもない」とするならば、既存のデータや情報を組み合わせてアイデアを作り出すのは、生成AIが得意とするところです。 そして、生成AIは人間が持っている偏見や過去の常識にとらわれることがないので、生成AIを相手に「壁打ち」をすることで、思いもよらない斬新なアイデアが生み出される可能性があります。 人間が思いついた10個のアイデアをプロンプトとすることで、11個目、12個目のアイデアを提案してくれることもあるでしょう。また、多様なメンバーによるブレインストーミングの結果を分類したり、図表にまとめたりすることも簡単に行えるため、コミュニケーションやコラボレーションを効率化し、活性化させることにも生成AIは一役買うことでしょう。生成AIをもう一人のメンバーとして活用するという発想も良いかもしれません。 DXの推進によって、業務効率化や生産性向上が進んだ企業は、次の一手に向けて新たな価値創出のための環境整備と組織能力の向上に着手することが期待されます。 内山 悟志 アイ・ティ・アール 会長/エグゼクティブ・アナリスト 大手外資系企業の情報システム部門などを経て、1989年からデータクエスト・ジャパンでIT分野のシニア・アナリストとして国内外の主要ベンダーの戦略策定に参画。1994年に情報技術研究所(現アイ・ティ・アール)を設立し、代表取締役に就任しプリンシパル・アナリストとして活動を続け、2019年2月に会長/エグゼクティブ・アナリストに就任 。ユーザー企業のIT戦略立案・実行およびデジタルイノベーション創出のためのアドバイスやコンサルティングを提供している。講演・執筆多数。