ニューバランスの最強コラボレーター、ジョー・フレッシュグッズが語るヒットの法則──「大事なのはスニーカー以上にストーリー」
リリースをする度に話題を集めるジョー・フレッシュグッズとニューバランスによるコラボレーション。最新作は、4月19日に全世界で発売された「1000 “When Things Were Pure”」だ。プロモーションのために来日したフレッシュグッズに『GQ JAPAN』がインタビューした。 【写真を見る】ジョーが解説する最新コラボの全貌
「すべてがピュアだったあの時代、ぼくらはみんな幸せだった」 米シカゴ西部出身のデザイナー、クリエイティブディレクターのジョー・フレッシュグッズがニューバランスとの最新コラボレーションでベースにしたのは、1999年に発売された”1000”だ。ジョーはこのアーカイブモデルを初めて復刻させ、2000年代初頭のファッションをテーマにアップデートした。 アッパーはブラックのエアーメッシュと、虹色のブロンズカラーに輝くシンセティックレザーのオーバレイのコンビネーションを採用。「1000」と「JFG」の刺繍を施し、ABZORB搭載のミッドソールとガムラバーアウトソールを組み合わせた。Y2Kのムードいっぱいの少しノスタルジックで全く新しいシューズが誕生した。 取材場所となったのはドーバー ストリート マーケット銀座の7階。約束の時間より少し遅れて到着したジョーは大きな髭を蓄えた大柄な男で、大きなバケットハットと太渕のサングラスという姿で現われた。「遅れてごめんなさい。でも準備はOKです。何でも訊いてください」。優しい声をしたその主はやはり大きな身振り手振りを交えて、インタビューに答えてくれた。 ──まず、シュータンの炎を象ったグラフィックやヒール部分に配された「jfg」のバッジなど、2000年前後の「ウェブ 1.0」期を彷彿させるデザインが気に入りました。Y2Kの要素を取り入れた理由を教えてください。 コラボに取りかかるにあたり、最初にするのがリサーチです。前回ニューバランスとのコラボでは、2016年に発売された「990v4」をモデルにしましたが、今回は1999年に発売された「1000」というモデルにしました。まさに2000 年を目前にして誕生したデザインです。2000 年代初頭のムードを掘り下げて、あの時代のストーリーを語りたいと思いました。 ──その2000年代初頭は、あなたにとってどんな魅力が詰まった時代でしたか? 僕はまだ高校生で、すべてがピュアな時代でした。ファッションは汚れがなく、エンターテイメントはなにより純潔でした。時を経て、僕は事業を始めて、従業員が増え、子供もでき、責任も増えました。学校から帰宅してミュージックビデオを観ていた、責任とは無縁のあの頃がとても懐かしいです。あの頃が僕にとってのクリエイティビティのピークだったように思います。歳を重ねた今でも、いろんなところからアイデアの着想を得ますが、やはりこの時代から引き出すことが一番多い。2000 年から2006 年が僕の頭脳の黄金期だと思っています。 ──商品名に「1000 “When Things Were Pure”(すべてがピュアだったあの頃)」と付けたのもそういう理由からですか? そうですね。ファンが僕がつけるそういった名前を喜んでくれるのもあります。このコラボは単に、“ジョーが作った新作スニーカー”ではなく、ネーミングも含めた一つの大きなストーリーなのです。名前はもちろん、グラフィックもムービーも大切なその一部。ボックスも、包装用のペーパーだってそう。だからこそ自分にもそれ相応のプレッシャーをかけてデザインします。“ブラックシューズ一丁上がり!それじゃバイバイ!”というわけにはいかないのです。 同時に、シューズを発表する度に思うのは、伝えているのは僕の歴史だということ。つまり、“これは12歳のときの僕”、“これは14歳の僕”といったふうに、自分の人生に起きた色や音、景色をスニーカーを通して表現しているのです。 ──なるほど。だからビジュアルやムービーも凝っているのですね。それらのインスピレーションを教えてください。 これもまた2000 年代初頭で、その頃のファッションに焦点を当てています。エアブラシを使ったグラフィックや、誰もが首から下げていた太いチェーンなど、ブリンブリンな時代がイメージです。あの時代のカルチャーを視覚化することがとても重要でした。 ムービーには若者がクラブで踊っているシーンが描かれています。ときに他の文化の人からは理解されないのではないかと不安になることがありますが、究極なところ、“踊る”という行為は、多少の違いこそあれ、誰もが理解できるはずです。誰だってダンスミュージックは知っているでしょう? 僕はシカゴ出身であることに誇りを持っていますし、個人的にはハウスミュージックは僕たちが発明したと思っています。このムービーで若者が踊っているダンスは、フットワーキングというスタイルのもので、2000年代初頭にすごい盛り上がりを見せました。あのときの熱気を表現したかったのです。 もう一つ正直に言うと、他の黒人や褐色肌の子供たちに、同じ黒人男性として、自分らしくいながらも成功することができると示したいと思っています。僕にはバックアップしてくれる投資家もいませんし、両親がお金を持っていたわけでもありません。大学も卒業していません。ただ無我夢中で働いただけ。そんな僕は今、ニューバランスとおそらく最も強く結ばれた関係を築いている人の一人です。 ──完成までどれくらい時間がかかりましたか? 3カ月です。これまで取り組んだ中で最も長いプロジェクトになりました。少なくともサンプルを10 個は作りました。こんなに作ったのは初めてです。ニューバランスの人たちにとってはあまり聞きたくなかった言葉だと思いますが、「ノー。これじゃだめだ」と何度も言いました。パーフェクトを目指すためです。 ──やり直しを繰り返して、最終的に“これだ!”と決め手となるものはなにですか? 棚に陳列されたとき、シューズがどのように見えるかが大事です。サンプルを作っては、棚に陳列するテストを繰り返し行いました。そしてチームを部屋に集めては、どれが一番好きかも尋ねます。みんな違うものを選んだときは、それは失敗を意味します。そんな試行錯誤を繰り返して、最高のものというのはできあがるのです。今回のボックスにいたっては、“ボックス・オブ・ザ・イヤー”と言えるほどの出来ではないでしょうか。結局のところ、ニューバランスがこれまでにやったことのないものを作りたかったわけです。 ──そのボックスで特に気に入っているところは? まずこのエアブラシで描いたグラフィックがいいですよね。箱の表面は、鏡のような仕上げになっています。こんな箱なら、捨てたくならないでしょう。もしかしたらスニーカーよりもボックスのほうが気に入る人もいるかもしれません。まあ、それはそれで良いことです。 ──日本のスニーカーヘッズにはどのように楽しんでもらいたいですか? 何より実際に履いてもらいたいです。スニーカーを汚したくない、売りたいなどの理由で、ただ保管しておく人もいると思いますが、ぜひ履いてください。キモいと思われるかもしれませんが、人が自分のスニーカーを履いているのを見かけると、嬉しくてつい声をかけてしまうんです。“オーマイゴッド! 君が履いているのは僕がデザインしたスニーカーだよ!”って。たいてい「あんた誰?」ってなりますけどね(笑)。生産量が少ないので、転売で値が上がるかもしれませんが、スニーカーは棚の上ではなく、履いてこそ輝くものです。 ──長年にわたってニューバランスとコラボレーションしてきましたが、その関係はどのように進化したと思いますか? 僕はカニエやファレルではないけれど、ここまで一緒におもしろいことができたのは何より幸せなことです。4年間にわたり8回のコラボをしました。たくさんのシューズを売りました。これはビジネスですから、商品を動かすことや、ストーリーを売ることができなかったら、僕はここにいなかったはずです。彼らは僕の言うことに耳を傾け、自由を与えてくれました。10年、20年経って今を振り返っても、“ジョーがニューバランスとしたことはヤバかった”と思ってもらえると信じています。 ──最後の質問です。商品名になぞらえて、“When Things Were Pure(すべてがピュアだったあの頃)”に続けるとしたら、それはどんな言葉ですか? いい質問ですね。迷いなくこう答えるでしょう。すべてがピュアだったあの頃、──“僕らはみんなハッピーだった”。 写真・松林寛太 文&編集・高田景太(GQ)