慰霊の日前企画「白梅学徒隊の語り受け継ぐ『後輩宣言』」
QAB 琉球朝日放送
沖縄戦で白梅学徒隊として動員され戦後は、武力のない平和な世界を訴えつづけてきた中山きくさん。去年、惜しまれつつこの世を去ったきくさんの思いをつなぐひとりの女性と高校生たちがいます。 白梅学徒のガイド行う 新垣ゆきさん「こっちが知ろうとか、伝えようって一生懸命になるから応えてくれたんだと思います」 中山きくさん「ぬちどぅ宝これを合言葉にこの若者たちとともに」 戦から79年。当時を知る人が、ひとりまた一人と去るなか「先輩」から、記憶のバトンを受け取った若い担い手たちの思いに迫ります。 地域研究部2年生「手術といっても傷が悪化した手足をのこぎりで切断することが主でした」 戦火の跡地で後輩に向けてガイドをする高校生。かつて、同じ場所で自身の経験を伝えていた元学徒の思いをつないでいます。 中山きくさん「ほとんどの兵隊さんがメスを入れたとたんに、やめてくれ切らないでくれと叫んだんです。私たちは最初のうちはほとんど見ることができませんでした。」
当時16歳で、県立第二高等女学校の生徒だった中山きくさん。「白梅学徒隊」として動員され劣悪な環境のなか、負傷兵の看護にあたりました。きくさんは戦後元女子学徒と一緒に「青春を語る会」を立ち上げるなど常に先頭に立って戦争の記憶の継承にあたり基地問題に対しても精力的に発信。生涯をかけて「武力のない平和」を訴えてきました。 中山きくさん「私は沖縄戦で、22名の白梅学徒仲間を失いました。私の生涯の悲しみです。武力を伴わない平和が一番なんです。戦争を知らない皆さんは、どうぞこれをわかってください] きくさんの傍らにはいつも高校生たちの姿がありました。沖縄尚学高校・地域研究部のメンバーです。「白梅学徒」と「沖縄尚学」一見つながりのない両者の関係はある少女の一言から始まりました。
新垣ゆきさん「一中が首里高校とかってあるように(後継校が)どこにでもあると思っていたけど女性の学校はないんですよね。誰が語り伝えていくのって思って『後輩宣言』しちゃおっか」 地域研究部に所属していた、当時高校2年生の新垣ゆきさん。「沖縄戦を学びたい」と顧問に相談し県内の資料館や戦跡を周るなか出会ったのがきくさんでした。 新垣ゆきさん「学校の先生っていう感じの話し方をされるじゃないですか、あんな感じで」 きくさんの話すエピソードには同じ女子高生として共感した話もあったといいます。 新垣ゆきさん「(学校で禁止されていた祭りに)みんなで行って、ミルクセーキ飲んでいるんですけど、卵なので管理が甘くて食中毒になってお腹壊しちゃってバレちゃうって話があるんですけど、感覚って変わらないんだなってそこで思って。普通の女子高生だったんだなって(思って)」 きくさんの楽しい学校生活の思い出にある「戦争」新垣さんは、これまで本や証言で聞いた信じがたい惨状が今の自分と変わらない少女たちに起きたことなのだとその時、理解できたといいます。