伝説の"極悪女王"ダンプ松本インタビュー「ゴキブリ入りケーキにしても『死ね』と書かれた山のような年賀状にしても『わざわざありがとう!』って気持ちだったね」
それにしてもやりたい放題、やったよね。反則して、凶器を使いまくって。しかも会社が、あいつらがこんなこと言ってたぞ、なんて余計なことをわざわざ吹き込んでくるからね。それこそ毎試合、相手を殺す勢いだったよ。 一度、脅してやろうと思ってドスを手に(試合に)出ようとしたら、「逮捕されます!」って、レギュラー中継してたフジテレビの人に全力で阻止された(笑)。 でも徹底してヒールになればなるほど、友達がいなくなり、親にも迷惑をかけちゃったけど。 ――普段から、徹底してヒールだったわけですよね。 ダンプ そう。リング降りたらいい人だなんて、そんなのヒールじゃないと思ってたから。それこそ実家に帰ると、近所の人が「サインください」って集まって来るんだけど、目の前で色紙を叩きつけて「家にまで来るんじゃねー!」とか言ってた。 その後でお母さんが色紙を拾って、一升瓶を持って近所に謝りに行くのを見ると胸が痛んだし、おかげで相当酷い目にもあったけどね。 ――酷い目、ですか? ダンプ そう。ゴキブリがいっぱい入ったケーキやカミソリだらけの手紙をもらったし、新車を買えばその日のうちに傷つけられ、自転車を買えばサドルが盗まれて。タクシーなんていつも乗車拒否。「お前を乗せるクルマなんてねぇ!」とか言われてね。食事も外だと何を入れられるかわからないから、常に弁当だった。 そういえばその頃の全女って、正月に一番多く年賀状をもらえると1万円のお年玉をもらえたんだけど、自分はいつもダントツで1位だったな。書いてあるのは「死ね」ばかりだったけど(笑)。ま、ゴキブリ入りケーキにしても年賀状にしても「わざわざありがとう!」って気持ちだったね。 ――そこまでされるっていまの時代は考えられないですよね。 ダンプ 当時日本で一番、嫌われていたと思う。自分ほど「殺す」「死ね」って言われた人はいないはず。でももともと覚悟はあったし、トップヒールを目指す以上、嫌われればそれだけうれしかったよ。 ――ヤンキーから弟子にしてくださいとか言われなかったんですか? ダンプ それはなかった。たまに「レディースの人が来たいと言っていました」みたいな話は聞いたことあるけど、実際に会ったことはない。いくらなんでもプロレスをやろうとまでは思わなかったんじゃないかな。