東京から福島に来た17歳、念願の漁師に 処理水への不安抱えつつ夢追う
SNSで雇ってくれる漁師を検索
福島では事故の翌年から検査をして販売する試験的な漁が始まり、県のモニタリング検査結果によれば、当初は基準(100ベクレル/kg)を超える放射性物質が検出される魚も見つかったが、2016年には8594検体中、基準を超えたものが初めてゼロとなった。それ以降、基準を超えたものは2021年の1検体に留まった。中学生になった原さんは「魚を捕ることを好きになり、お世話になった福島で漁師になりたい」と決意、父親に相談し、了解を得ることができた。ただ、知り合いに漁師がいるわけではなく、SNSを活用して雇ってくれる福島の漁師を探し出した。そして去年の春に中学を卒業し、福島へやってきた。 「ようやく念願の漁師になれた」。
漁師1年目で直面した“海洋放出”
しかし、その5カ月後、福島の漁業を大きく揺るがす出来事があった。福島第一原発の汚染水を浄化し、安全なレベルまで海水で薄め海に放出する「処理水の海洋放出」だ。去年の8月24日に始まったが、多くの漁業者が反発し理解が得られない状況のままだった。風評被害がまた起きてしまうのではないかと、原さんも大きな不安を抱いたという。 「処理水は海に流しても検査で安全だと分かってはいたけれど、不安みたいなものがあって。本音を言えば流さないでほしいという気持ちがあった」。 その不安はしばらくぬぐえそうもない。他県の漁にはなく、福島の漁にのしかかるものが処理水の海洋放出だ。しかも、これが廃炉完了までの30年以上も続くとされる。
先輩漁師は全力で原さんを支える
そんな原さんを支えているのが、乗船する「幸喜丸」の船長、高橋一泰さん(46)。原さんを自らの船に受け入れ、寝食を共にしている。髙橋さんは中学校を卒業した後に家業を継ぎ、今は4代目の船長として家族や従業員と漁に出ている。 「自分の頃は中学を卒業して漁師になるのは当たり前だったけど、今の時代は中々ない」。 福島の漁師たちは原発事故の影響で漁の自粛や出荷制限に追い込まれ、その後はセリにもかけてもらえないほどの風評被害を経験した。誰も福島の海で働く人はいないのではと思っていたところ、高橋さんと同じく「中学を卒業して、福島で漁師になりたい」という原さんの思いに感銘を受けたという。高橋さんは新人の原さんに仕事の内容や作業のコツを時間をかけて丁寧に教えている。2人が作業をしている様子は親子のようにも見える。 「正直に嬉しかった。後継者のなり手がいなくて困っていたところだから。東京から来て福島で漁師になりたいなんて、一番大変なところに来て、福島の海でやるということに感激した」。