レジェップ・レジェピ、独立系時計の新たなスター
時計師レジェップ・レジェピが手作業で製作する時計の数々は、精巧だが完璧というにはあと一歩及ばない。しかし、そのことこそが彼の作品にほかにはない魅力をもたらしている。ジュネーブにあるレジェピの工房に、若きレジェンドを訪ねた。 【写真を見る】落札額230万ドル!「クロノメトル アンティマニェティーク」と最新作「クロノメトル コンテンポラン II」
ジュネーブ中心部にある工房の4階。時計師レジェップ・レジェピは、一日中首から下げているルーペを通して、先日オークションで230万ドルで落札された自身の作品「クロノメトル アンティマニェティーク」を見つめている。100万ドル以上で作品が落札されたのはレジェピにとって初めてのことで、37歳の時計師としては快挙である。 レジェピはブラックエナメルの文字盤をじっくりと観察している。粉末ガラスを施してから700℃のオーブンで焼き上げる、光沢のある独特の仕上げが特徴だ。彼が親指と人差し指を使い、慣れた手つきでケースバックをひねると、ダイヤモンド鉱山のように煌めくムーブメントが現れた。レジェピの特徴であるシンメトリーにオーガナイズされた歯車の数々は手作業で磨き上げる必要があり、1つの歯車を仕上げるのに丸1日を要する。彼は時計を閉じ、ため息をつきながらひっくり返した。「これは失敗だ」 レジェピは、230万ドルの値が付いたこの“失敗作”にある欠点の数々を列挙していく。これは彼が製作し、今年5月にチャリティーオークションのOnly Watchに寄贈した一点ものだ。ラグは磨きすぎのため目立ちすぎるし、時針はもっと大きくなければならない。エナメルの文字盤は彼の求める水準に達しておらず、ネジはもっと一直線に並んでいなければならなかった。 「でも結局、それが個性というものです」と、レジェピは言う。「私たちだって誰も完璧ではありません。私たちのガールフレンドが愛しているのも、ありのままの私たちなわけですから。時計だって同じです」 ■独自の嗅覚と信念 レジェピは年間40~50本の腕時計を製造し、なかでも最も魅力的なアイテムは6万4000ドルから13万8000ドルで販売されている。彼のビジネスは、スプレッドシートを駆使して合理化を試みる会計士ではなく、ほぼレジェピ自身の嗅覚のみによって導かれている。「私が“匂い”と呼ぶものを失いたくありません」と、彼は言う。「工房には面白さがあります。とても自然でオーセンティックなものがね」 レジェピは、その嗅覚を頼りに、世界で最もホットで魅力的な腕時計のいくつかを生み出してきた。彼の時計はひとつひとつが手作りであり、そのことが各アイテムをより魅力的なものにしていると同時に、1年間に製造できる数を自ずと制限もしている。腕時計専門メディア『Hodinkee』の創設者ベン・クライマーは、シリアル生産されるレジェピの最新作「クロノメトル コンテンポラン II」(通称CC2)を「ここ数年で私が所有したり、あるいは目にしたなかで最も満足のいく腕時計」と呼んでいる。 数年に及ぶ順番待ちリストに名を連ねなければ入手が困難なブランドもある一方、レジェピの時計の人気ぶりはそのようなリストの有用性すら超越してしまっている。「順番待ちリストはありません」と話すのは、ジュネーブの腕時計ディーラーでレジェピの友人でもあるサシャ・ダヴィドフだ。「身に着けるべき人の手にのみ渡っているのです」 机から身体を起こし椅子にもたれかかったレジェピの背後には、アレックス・マルコというアーティストが手がけた白黒の絵画が並んでいた。左手には大きな窓があり、建物の尖塔の間からレマン湖の有名な水しぶきが遠くに見えた。彼は最近、自身が廃番にした腕時計を80万ドルで買いたいと申し出た男性のことを話してくれた。そのオファーを彼は断ったという。 「あの時計は私のコレクションでは終わったものですから、もう二度とやりません。それが私の信念です。大金であることはわかっていますし、私には必要なお金なのかもしれません。でも、私はやりません」。レジェピの工房では、このような客の応対は珍しくない光景だ。クライマーは、それとは別の男性が廃番の時計に100万ドルを提示するのを目撃したという。レジェピはこの男性のオファーも辞退した。 ■不完全ゆえの美しさ レジェピはがっしりとした顎に無精髭を生やし、ボーイッシュな尖った耳を持つハンサムな人物だ。もしハリウッドで腕時計ブームが起き、レジェピの伝記映画が企画されたとしたら、トム・ハーディが適任だろう。彼は時計だけでなく、何に対しても几帳面だ。彼が使っている作業台さえも自分でデザインしたものである。机の上には時計や内部機構の図面がびっしりと書き込まれたノートが積まれているが、そのノートも彼がデザインしたものだ。 この日、彼はキャメル色のニットポロシャツにスポーツコートを羽織っていた。彼は服装にも気を遣っており、いつか自分の服を自らデザインしたいとまで言う。手首には自身のトレードマークであるヴィンテージのロレックス「ミルガウス」を着けているが、「デイトナ」も数本持っているという。 レジェピのオフィスは、彼のお眼鏡に適った数々のオブジェで飾られている。日本刀やエマニュエル・エスポジートの手作りナイフがすんなりとその場に溶け込み、満足げなレジェピをうならせる。「作るのに時間のかかるものは何でも好きです」と、彼は言う。 机の上には、パテック フィリップのヴィンテージ腕時計のコーヒーテーブルブックが開いたまま置かれている。彼は、それらの古い腕時計がどのように作られたかに惚れ惚れとするという。「このように微かな欠点のある文字盤を、まったく同じように再現できるようになりたい。しかし、昔のような作り方でないとこういう風にはなりません。私が(自分の手がける腕時計で)気に入っているのは、新しい時計を買っているのに、それがヴィンテージ時計のようだということなんです」 レジェピにとって、古いパテックや日本刀、あるいは230万ドルの「アンティマニェティーク」でさえ、その美しさは不完全さにある。オートメーション化されなければ到達不可能な水準であることを知りながらも完璧を追い求める、職人の絶え間ない努力にこそマジックがあるというのだ。「私たちが使っている機械や装飾のやり方では完璧なものはできない、という限界があります。それでも、そこに向けて努力を重ねる。そうすれば、完璧ではないかもしれなくても、それがアイデンティティになります。細かなディテールが大きな違いを生み出すのです」 これは、自動化された機械によって、正確で寸分違わない時計を何百万個も製造している腕時計業界では特異なことである。しかし過去5年の間に、メーカーの個性や独立性を重んじ、オルタナティブな腕時計製作のあり方を支持するコレクターも増えてきた。 「オークションでは長年、『パテック フィリップとロレックスと並ぶ第3のブランドはどこだろう?』と話してきました」と、フィリップス・オークションハウスの副会長、アレクサンドル・ゴトビは言う。フィリップスは5月下旬、レジェピの「クロノメトル コンテンポラン I」(小売価格6万4000ドル)を約126万ドルで売った。「今日、第3のブランドはいわゆる“ブランド”ではありません。独立系の時計職人という“ジャンル”なのです」。後者の世界では、時計職人はライン作業で働く工場労働者ではなく、唯一無二の作品を作る高名なアーティストのような存在だ。 レジェピは手を上げ、時計製造に対する様々なアプローチをたとえ話とジェスチャーで説明してくれた。高い山の頂上に到達するには2つの方法がある。ひとつは近代的な機械、つまりヘリコプターで飛んでいく方法だ。もうひとつは、もちろん徒歩である。大変な重労働だが、最終的にはルートを熟知し、気が向けば木立や小川など自分が美しいと思うもの、興味深いと思うものを探索するのに、のんびりと寄り道をすることもできる。「何かを学ぶ」のはこの過程だと、レジェピは声を落として真剣に言う。「それが私にとっての時計作りなのです」 ■失敗は無駄ではない レジェピは、細かな金の歯車が入った小皿を手にしていた。彼が案内してくれた幅の狭い工房の両側には、レバーの付いた古そうな金属製の機械が作業台に置かれている。 彼は私に、その小さな金の歯車を作る機械を見せてくれた。中央には歯車となる円盤を固定するための円柱が水平に配置され、その向かい側に歯切り用のカッターがある。彼はそれをわずかに回し、レバーを引いて1本の歯を切り欠いてみせた。そして小皿から取り出した1つの歯車を仕上げると、「これらは不良品です」と明らかにした。完成した歯車は直径5.568mmで90本の歯が並んでいるはずだという。「最後の『8』の単位はミクロンですよ!」と言い、彼は不良品の歯車を手に取った。完成寸前にもかかわらず、誰かがミスをしてしまったものだ。丸一日の仕事が無に帰したと言いながらも、彼は微笑んでいる。レジェピにとって、それは無駄な労働ではない。山を登る途中で、ちょっと滑り落ちたに過ぎないのだ。「まずは悲嘆に暮れます。その後もね。でも、おかげで生きた知識を得られるのがいいんです」 レジェピは、ジュネーブ旧市街の石畳の坂道に4つのスペースを構えている。坂の下近くにあるのはストラップ工房で、職人たちが彼の好む極薄のレザーバンドの裁断と縫製を行っている。1本のストラップを作るのに1日はかかる。同じ道を登っていくと右手に、レジェピと彼のチームがケースや内部機構の様々なパーツを製作する小さなスペースがある。道を挟んだ向かい側では、レジェピの下で少なくとも2年間は修行を積んだ一人前の時計職人たちが、手作業でこれらのパーツを組み立てている。ここからさらに上にある日当たりのよい最新のスペースでは、職人たちがエナメルを施す作業をしている。 新しいアイデアを進行させたり、技術的な問題を解決したり、100万ドルのオファーを断ったり、私のようなライターの取材に応えたりしている合間に、レジェピはブランドが1年に製作する約50本の時計のうち、5本ほどを自ら組み立てている。彼にとって、たとえ自分の手でなくても、人の手で時計を作り上げる以上に大事なことはないのだ。 「それほど多くの時計を製作していないとしても、私たちには知識があります」と、彼は言う。「将来的に、そのことが重要になってくると信じています」。手作りであるということが、レジェピの時計に何ものにも代えがたいクオリティをもたらしている。「私の時計を手にしたとき、ちょっと時間をかけて見てもらえば、そこに魂がこもっていることがわかってもらえると思います」と、彼は言う。「好きか嫌いかは別にして、そこには魂があるのです」 腕時計コレクターの間でレジェピの作品はすでに伝説と化しているが、その理由は希少性ではなく製作プロセスにある。「これらの時計が特別なのは、製作数が少ないというだけでなく、職人たちがいかに製作に打ち込んでいるか、そしてすべての仕上げが手作業で行われているという点にあります」と、ダヴィドフは言う。「レジェピの時計が特別なのは、小売価格で購入した場合、その価格に見合うだけの価値があるということです。ほかの高級メーカーがこれだけの時間と手間をかけたとしたら、小売価格は75万ドル近くになってしまうでしょう」。 レジェピは当初、「CC2」を13万8000ドルで販売していた。「パテックもここまでの仕上げはしていません」と、クライマーは付け加える。「そんな必要はありませんからね。レジェピの作品は、真に時計にこだわる人たちの手に渡るのです」 偶然にも、レジェピがジュネーブで最高のレストランと呼ぶ店は、彼のいる工房とストラップ工房の間にある。彼は私を「オステリア・デッラ・ボッテガ」に連れて行ってくれた。冷たい飲み物がほしくなる6月のよく晴れた日、外で食事ができるように日除けが設置されていた。私たちも誘惑に負け、ペローニを1杯ずつ注文した。 レジェピは、自身のこぢんまりとした生活圏について語ってくれた。彼の工房、お気に入りのレストラン、そして自宅はすべて徒歩圏内に集中している。ローストチキンに切り込みを入れながら彼は、「朝起きたときに考えていること」は時計の製作だと語った。「そして、寝る前に考えていることも。私の子どもにとっては不幸なことですがね。悲しいですが、それが現実です」 レジェピは食事中に携帯電話をかざし、ブレゲのカレンダー機能を詳しく説明した本の写真を見せてくれた。「3文字で表されている月と、2文字で表されている月がある理由がわかりますか?」と、彼は私に尋ねた。私はわからなかったが、答えは至って簡単だ。31日まである月は3文字で、それよりも短い月は2文字に略されているのだ。「私にとっては、これこそが時計作りの魅力なのです」と、彼は惚れ惚れとした調子で語った。レジェピはこの手法に非常に感心しており、将来の作品に採用する可能性もあるという。ほかにも時間を変えると秒針がリセットされる機能など、彼のブランドはこうした小さなインスピレーションの上に成り立っている。 昨年、彼はルイ・ヴィトンとの野心的なプロジェクトに着手した。そこから生まれた「LVRR-01 クロノグラフ・ア・ソヌリ」はダブルフェイス構造の時計で、裏面には1分経過するごとにチャイムが鳴るクロノグラフ(ストップウォッチのようなものだ)を搭載している。両ブランドによれば、これはそれまでには存在しなかった機能である。 レジェピにとって、この時計の製作は試練だった。ある夜遅く、彼はこの時計の製作中に部品を壊してしまった。彼がベッドに入ったとき、長年のガールフレンドに「なぜ必要もないことをやろうとするのか」と訊かれたという。「そのときは疲れていて、『その通りだ。考え直すよ』と答えました」。翌朝、目を覚ましたときには再び挑戦的な気持ちになっていた。 「こんな楽しい挑戦をやめるつもりはありません」と、彼は言う。「何かに没頭することで、何かを生み出し、何かを達成する。それが自分が自分であることの一部なんです。人は冒険家であるか、あるいはバレエの鑑賞でもしてのんびりしたいかのどちらかです」。彼はそう言うと、ひと呼吸おいて続けた。「私はそういう(後者の)あり方は望んでいません」 ■利益を求めるよりもレガシーを遺したい 腕時計の世界で、レジェピは赤ん坊のようなものだ。最も有力なブランドは少なくとも100年の歴史があり、F.P.ジュルヌのフランソワ = ポール・ジュルヌやフィリップ・デュフォーのような独立時計師でさえ60歳を超えている。まだ37歳のレジェピは神童と言えるだろう。 旧ユーゴスラビアのコソボに生まれたレジェピは、11歳のときに紛争を逃れてジュネーブに移住した。世界的な時計の都に移り住む前から、彼は時計が好きだった。父親が出張先で買った時計を勝手にいじったり、初めてジュネーブ空港に降り立ったときに目にした時計ブランドの派手な看板に魅了されたことを憶えているという。時計職人への道を拓いたのは新たな故郷だった。「コソボにいたら、時計職人にはなれなかったでしょう」と彼は言う。ジュネーブでは、町全体が時計作りを中心に成り立っている。 彼は15歳のときにパテック フィリップで見習いを始めた。スケートボードを通じて知り合った友人の父親の紹介だった。わずか5年後には、今はなき複雑機構のサプライヤー、BNBコンセプトで15人のチームを指導していた。数年後、彼はF.P.ジュルヌに就職し、そこで世界的な独立時計ブランドのあり方を目の当たりにした。アクリヴィアと名付けられた自身のブランドを立ち上げたとき、彼はわずか25歳だった。 レジェピのキャリアのそれまでとは異なり、アクリヴィアはすぐに成功したわけではなかった。ダヴィドフは、バーゼルワールド2013の会場の外で、自身のスケッチとプロトタイプを熱心に売り込もうとしているレジェピに出会った。「あまり関心を持たれてはいないようでした」と、ダヴィドフは言う。レジェピもその時期のことを「長いプロセスだった」と振り返る。しかし、やがて2018年、彼がまだ32歳だったとき、「CC1」が時計業界のアカデミー賞といわれるジュネーブ時計グランプリで最優秀時計賞を受賞した。 机の上に積み上げられたレジェピのノートには、ブランドの今後15年と、現在進行中の12のプロジェクトが示されている。現在クロノグラフに夢中の彼は、ヴィンテージ品をいくつか購入し、魅力的なプッシャー(時計の側面に突き出た、ストップウォッチ機能を作動させる小さなボタン)について検討している。「少し硬めの感触が好きでね」と、作業台に置かれた古い時計のボタンを押しながら彼は言う。 レジェピの新作は来年2月までに発表される予定で、ファンの多くはそれが「アンティマニェティーク」のシリアルバージョンになると予想している。「今はクロノグラフに取り組んでいます。次のモデルはそれにすべきだと考えています」と言う彼は、さらに踏み込んで、「これまでにないもの」を発表したいと新展開を予告する。 ブランドが手がけてきた既存のモデルを取り巻く熱狂から、莫大な利益を生み出すことができるのは間違いない。しかし、レジェピはレガシーを遺すことにそれ以上の価値があると言う。「高額な給与は私には必要ありません。食べることができているし、服や機械を買ったりもできます。これで十分ですし、満たされてもいます」 今年初めにタグ・ホイヤーのヘリテージ・ディレクターであるニコラス・ビュビックと話したとき、彼はレジェピを修道士に喩えていた。フィリップスのゴトビは、彼のアプローチをほかの高級時計メーカーと比べて言う。「たとえば、『グリーンの文字盤の時計を100本、サーモン色の文字盤の時計を100本作ろう』と決めるのが彼らの方法論です」。レジェピの独立性はそれとは違うアプローチを可能にしている。 もし利益ばかりを追求するのであれば、「CC2」のバージョンを多数製作することもできるとレジェピは認める。しかし、彼は自身の嗅覚を頼りに品質へのこだわりを信じ、手作業を続けることで、ほかとは違うものを提供しようとしている。彼が何百万ドルものお金を惜しまないファンを見つけつつあるのはそのためだ。こうした新しいコレクターたちは完璧な時計を求めているのではない。彼らが求めているのは、あくまで「レジェピの時計」なのである。ミニサイズでハンドメイド、そして不完全な部分も見られる──それが彼の手がける時計だ。 REXHEP REXHEPI 1987年生まれ、旧ユーゴスラビア・コソボ出身。幼少期より時計に興味を持ち、15歳のときに移住先のスイス・ジュネーブでパテック フィ リップに入門。その後、BNBコンセプト、独立系時計工房F.P.ジュルヌを 経て、2012年に自身のブランド、アクリヴィアを設立した。 From GQ.COM By Cam Wolf Translated and Adapted by Yuzuru Todayama