川口和久・金石昭人・小早川毅彦の深掘りトーク! お題「われらの広島市民球場」【昭和ドロップ・広島カープ編】
怪物引退はなかったかも?
写真=BBM
『昭和ドロップ!』広島編の最終回。都内の「寿司かねいし」での最後のトークテーマは、3人にとって思い出深い広島市民球場。狭い、汚いとも言われた球場のどんな思い出話が飛び出すか。 構成=井口英規 ──では、これが最後の3回目です。皆さんのホームグラウンド、広島市民球場の思い出を聞かせてください。 小早川 僕が一番印象に残っている試合は、江川(卓)さん(巨人)から打ったホームランですね(1987年9月20日の巨人戦=9回二死一塁から逆転サヨナラ2ラン)。 金石 江川さんを引退に追い込んだ一発ね(※同年、江川さんは13勝しているが、突然、引退表明。理由として自分の渾身(こんしん)の真っすぐを小早川さんに打たれたことを挙げた)。 小早川 あの試合、広島の先発は金石さんだったんですよ。 川口 そうだったっけ?すごいな、伝説の試合で。 小早川 金石さんの好投がなかったら、あの試合は成立しなかったんです。江川さんも絶好調で金石さんもすごく調子が良くて、テンポが良く、試合が締まっていた。だから僕も打席で集中できたと思います。 金石 たまたまだけどね。8回を2失点かな。僕が5回くらいで5点か6点取られてたら、江川さんの引退はなかったということだな(笑)。 ──お膳立てをしてくれたわけですね。 小早川 そうですね。最終的には3対2で広島がサヨナラ勝利でした。 金石 江川さんがマウンドに片ヒザを着いて、試合後には号泣していた試合です。あとで映像を見て、ちょっと驚いた。 川口 ガクッとマウンドに崩れ落ちた江川さんの姿は、俺も覚えてるなあ。江川さんはあこがれの選手だったしね。 小早川 僕は前だけ見て走ってましたから、江川さんの姿は見てないんですよ。すべて報道で知りました。 ──市民球場は投げやすかったですか。 金石 投げやすかったけど、狭いし汚い(笑)。内野も外野の芝もガタガタだから、打球のイレギュラーが頻繁にあった。試合には関係ないけど、ロッカーもぐちゃぐちゃだしね。 小早川 ロッカーは狭かったですね。新人の使えるスペースは、靴を横に置くといっぱいになるくらい。椅い子すはあるけど、座ると尻がはみ出て、並んで座れないんです(笑)。 金石 ビジターのほうが、もっと悲惨だったらしいよ。冷暖房もなかったはずだしね。 小早川 僕は一塁手だったんで、西日も印象にあります。原爆ドームのほうから入ってくるんですが、ちょうどサードやショートの送球を捕るとき、日差しが重なるんですよ。これを避けるための大きな日よけがスタンドの上にできたんですが、太陽は動くじゃないですか。それに合わせて係の人が日よけを動かしてくれた。こっちからも、もう少し右がいい、左がいいとお願いしていました。 金石 当時、市民球場のブルペンは外だったんですが、ピッチャーもデーゲームだと西日で疲れちゃうんですよね。暑くて汗が止まらなくなる。あとは夕方になって風が止まる瀬戸内の凪なぎ。ナイターで先発するときはアップするだけでバテましたから。 ──内野グラウンドはガタガタだったんですか。 小早川 整備はしっかりしてもらっているんですが、砂の目が粗いんですよ。当時、土のグラウンドだった甲子園やナゴヤ球場は砂がサラサラできれいでした。 金石 守備ポジションは掘れてガタガタになっていたし、傾斜もきれいになだらかではなくて、急に下がってみたりね。夜はコウモリが飛んでくるし、虫もいっぱいいた。もう少しいい話をしたほうがいいかな(笑)。 ──川口さんの広島市民球場の思い出の試合は? 川口 俺もやっぱり・・・
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週刊ベースボール