「長谷」を「はせ」と読むのは、なぜ?ルーツは奈良県にあり
長谷川(はせがわ)
「長谷川」は誰でも「はせがわ」と読めますが、改めて考えてみると「長谷」を「はせ」と読むのはかなり特殊な読み方です。 「長谷川」のルーツは、奈良県南部、桜井市の長谷寺付近です。 JR桜井駅から東に向かって一本の細長い谷が伸びています。古代、この谷を流れている川を泊瀬(はつせ)川といいました。ここには大阪湾から川を遡って来た船の最終的な船着き場がありました。泊瀬とは、最後に船を停泊させるところという意味なのです。 やがて、東西に長い地形から「泊瀬」は「長谷」とも書かれるようになりました。そして、発音ではまん中の「つ」が落ちて「はせ」と言われるようになり、次第に泊瀬川も長谷川と書かれるようになりました。そして、ここに住んだのが長谷川一族です。 中世、長谷川流域には武士団が生まれ、彼らは長谷川党と名乗って活躍しました。旗本の長谷川家もその末裔で、ドラマで有名な「鬼平」こと長谷川平蔵もこの一族です。 現在は四国・九州以外に広く分布しており、とくに新潟県に多くなっています。
森岡浩/Hiroshi Morioka
姓氏研究家 1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部在学中から独学で名字の研究をはじめる。長い歴史をもち、不明なことも多い名字の世界を、歴史学や地名学、民俗学などさまざまな分野からの多角的なアプローチで追求し、文献だけにとらわれない研究を続けている。著書は「全国名字大辞典」など多数。
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