ビルツとムシアラ ドイツサッカーを担うふたりの天才プレーメーカーは共存可能なのか
【プレーメーカーが共存できない理由】 1972年の欧州選手権(ユーロ)はベッケンバウアーとネッツァーのダブルプレーメーカーが機能して優勝。この大会を負傷欠場したオベラートが復帰すると、1974年W杯に向けて「ネッツァーかオベラートか」の論争が勃発する。すでにベッケンバウアーはMFからリベロにコンバートされていたので、ふたりのプレーメーカーのどちらを選択するかの問題だった。 両方使えばいいように思うかもしれない。実際、同時起用した試合もあったのだが結果はさんざんだった。 結局、1974年W杯ではオベラートが全試合に先発している。ネッツァーは3戦目の東ドイツ戦に20分間程度プレーしたのみだった。この試合が唯一の負け試合。オベラートは観客席からのネッツァーコールのなかで交代する屈辱を味わったのだが、ネッツァーがプレーした時間に西ドイツは決勝点を奪われている。 オベラートへの信頼が高かった理由としては、ネッツァーのコンディションが十分でなかったことが大きいのだが、対人マークの強さでオベラートに分があったからではないかと推察する。当時は基本的にマンマークで人につく守備が主流だった。 2014年ブラジルW杯優勝のドイツは、1970年代以来の黄金世代だった。 この時はメスト・エジルとトニ・クロースがいたが、問題なく共存できている。1970年代は特定の選手にボールを集めてゲームを構築していた。そのため指揮者がふたりではチームが混乱する危惧があったわけだが、2014年はすでに特定の選手を司令塔に据えるサッカーではなくなっている。この違いが大きい。 ブラジルは伝統的にアタッカーを並べて攻め勝つスタイルが好まれ、ボール保持で劣勢になることも想定していない。だから平気で10番タイプを並べていた。フランスのプラティニとジレスのケースはセンターフォワードを置いておらず、10番を併用しても攻撃過多にはなっていなかった。 攻守のバランスを重視して司令塔を併用しなかったのは、ドイツらしい堅実さである。