ダンスは違いを超えて他者とつながるツール。誰もが自分の可能性を信じられる世界へ #豊かな未来を創る人
自ら育てた「夢は叶えられる」という確信
── それから4年後、パリで行われた世界大会では、師匠とペアで出場し、優勝を果たされました。どんな気持ちで臨みましたか。 昔から憧れの舞台だったんです。毎晩寝る前にYoutubeで過去の映像を夢中で観ていましたね。その場所に師匠と一緒に立てる機会なんて、一生に一度きりかもしれない。当時は19歳で、出場者の中でも一番若くて経験値がなかったからこそ、もうこれは誰よりも思いっきり楽しむしかないでしょう!と。そんな気持ちでしたね。 大会のルールは、 流れてきた曲に合わせて1分間即興で踊るというもの。そこで一番大切なのは、いかに音楽を自分の体で奏でて、表現できるかなんです。だから踊っている最中は、テクニックのことは考えずに、頭を空っぽにして音と遊んでいるような感覚でした。とにかく音に集中して、心からダンスを楽しめたからこそ、結果につながったのだと思います。 優勝という言葉を聞いたとき、「夢って努力をしたら、本当に叶うんだ」と思いました。その気づきが揺るぎない確信となって、今の自分を支えてくれています。
── 世界チャンピオンとなって、どのような変化がありましたか。 大会をきっかけに、自分の名前を知ってもらうことができ、仕事も少し増えました。一方、やるせなさを感じることも。世界一になった後も、ダンサーという職業が社会的に認められていないと思うことが多かったからです。 例えば、テレビなどの仕事でダンスの振付をしても、振付師の名前が表に出ることは少ない。さらに、不本意な金額で仕事を依頼されることも。他のアーティストやアスリートと同じように、毎日命を削りながら本気で取り組んでいても、職業として認められていないと感じる場面がたくさんあったんです。そんな現状のために、将来ダンサーになりたくても、親に反対される教え子たちも多く見てきました。それがすごく悔しかったんです。 そこから「ダンサーの社会的地位を向上させる」ことが、私の大きな目標となりました。ダンスで生計を立てるといえば、講師、振付師、バックダンサー。これまで主にその3つの選択肢に限られてきたわけですが、それだけではなくて、ダンサー自身も一人のアーティストとして輝けるはず。そんな世界を私は創っていきたいです。