〈一度植えたら50年〉誤った造林で、取り戻せない樹木や森林の価値と長い時間
戦後の林業は、長く農業を追いかけてきた。林業を受け持つ行政組織の林野庁が農林水産省に所属しており、山間部の担い手が農家林家だったので、それは当たり前かも知れない。 【写真】尾根にマツ、中ほどヒノキ、沢にスギ だから人工林を造成する造林を稲作に見立てていた。水田に稲が育つ姿は、山にスギ・ヒノキの人工林が育つ姿と瓜二つである。そうしたイメージを森林担当の行政官はずっと引きずってきた。 しかし、農業の生産基盤である田や畑はおおむね平坦地で開墾されたものであるが、森林がよって立つ林地は山そのもので、まったく環境条件が違っている。山の斜面はおおまかに尾根、中腹、谷筋に分かれ、土壌の性質や水分条件が違う。また岩石地など造林できない個所も混在していて、このような林地の多様性に適応して多様な樹種が生育する。 農業は作物に合わせて農地の環境づくりをするのだが、林業は林地の環境に合わせて育成する樹種を選ぶのだ。これが適地適木といわれるもので、自然に任せた状態の天然林では自ずと達成されている。昔の人はこの多様な樹種を最適な用途に使い分けていた。
「尾根にマツ、中ほどヒノキ、沢にスギ」
ところで、通直(木目がまっすぐ軸方向へ平行に通っていること)で加工しやすい針葉樹は建築用材などの需要が多くて不足する。そこで針葉樹の苗を林地に植えて育てる造林が始まった。 針葉樹もアカマツ、クロマツ、スギ、ヒノキ、カラマツ、モミ、ツガなどいろいろあるが、一般的には水分条件の悪い尾根筋や岩石地に生育するものが多い。土壌が厚く、肥沃な個所は広葉樹が優先して針葉樹は負けてしまうのだ。 そうした中で、高い需要、広い用途、品質、加工のしやすさ、育てやすさなどから、アカマツ、スギ、ヒノキが選択されたと思われる。しかも、この3種共存できる理由があった。
「尾根にマツ、中ほどヒノキ、沢にスギ」 これさえ覚えれば造林学は卒業だ、と教授が豪語した適地適木の格言である。乾燥した尾根にはアカマツ、湿潤な沢にはスギ、その中間にはヒノキが適していることを示している。 東北などの多雪地帯はヒノキには適していないが、それ以外の地域ではほぼ当てはまる。そして、明治の末から大正期にかけて国有林の大造林が行われ、昭和30年代から始まる国有林の大増産の原資となった人工林は、ほぼ格言どおりの姿だった。それを国有林では成功ととらえて、大皆伐大造林の道を邁進することになる。 もっとも失敗事例は残っておらず、生き残った成功事例だけを見て、明治・大正の大造林が成功だったとは言い切れないという説もある。また、少ないながらもケヤキ(銘木)、クスノキ(製油)、イチイガシ(櫓、櫂)などの特用樹も造林されており、当時の造林にはまだ多様性が見られた。 また、成功事例であってもモザイク状に出現する岩石地や崖地、崩壊跡地、尾根筋には天然木が見られ、さらに林内にもスギ・ヒノキに混じって広葉樹が生育しており、それなりに多様性は保存されていたのである。まあ自然の中なので当然のことなのだが、こういう多様性を消し去って、田んぼの稲と同じく、人工林をピュアーなものとイメージしたのでは、机上論議になってしまう。 造林を単純な格言で説明した教授のおかげでろくな学生は育たなかった。現在の森林・林業の衰退は、このような型にはまって硬直化した林学に起源するのだろう。これから造林を語るわけだが、どうかフレキシブルな感覚をもってお聞き願いたい。